
ゾンゲリア
ゾンゲリア
1981年 アメリカ 94分
原題:DEAD & BURIED
製作:バークレイズ・メルカンティル・インダストリアル・ファイナンス(アメリカ)
アメリカ配給:AVCOエンバシー・ピクチャーズ
日本配給:ヘラルド映画
■スタッフ■
監督:ゲイリー・シャーマン「ポルターガイスト3」 Gary Sherman
製作:ロバート・フェントレス Robert Fentress
ロナルド・シャセット Ronald Shusett
製作総指揮:リチャード・R・セント・ジョーンズ Richard R. St. Johns
共同製作:マイケル・I・ラチミル Michael I. Rachmil
脚本:ダン・オバノン Dan O'Bannon
ロナルド・シャセット Ronald Shusett
原案:ジェフ・ミラー Jeff Millar
アレックス・スターン Alex Stern
撮影:スティーヴ・ポスター Steve Poster
編集:アラン・バルサム Alan Balsam
音楽:ジョー・レンツェッティ Joe Renzetti
美術:ジョー・オーベル Joe Aubel
ビル・サンデール Bill Sandell
特殊メイク:スタン・ウインストン Stan Winston
特殊効果:スタン・ウインストン・スタジオ Stan Winston Studio
■キャスト■
ジェームズ・ファレンティノ(ダン・ギリス保安官) James Farentino
メロディ・アンダーソン(ジャネット・ギリス) Melody Anderson
ジャック・アルバートソン(G・ウイリアム・ドッブス) Jack Albertson
デニス・レッドフィールド(ロン) Dennis Redfield
ナンシー・ロック(リンダ) Nancy Locke
リサ・ブロント(看護婦/海岸の少女) Lisa Blount
ロバート・イングランド(ハリー) Robert Englund
ビル・クイン(アーニー) Bill Quinn
マイケル・カリー(ハーマン) Michael Currie
クリストファー・オールポート(ジョージ・レモイン) Christopher Allport
ジョセフ・メダリス(ドクター) Joseph Medalis
メイコン・マッカラム(ベン) Macon McCalman
リサ・マリー(ヒッチハイカー) Lisa Marie
エステル・オーメンス(ベティ) Estelle Omens 他
ストーリー(キネマ旬報データベースより)
※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください
テキサス州の南側、メキシコ湾に面した小さな村ボッターズ・ブラフ。秋のある日、1人のカメラマンが海辺で風景を撮影している時、突然美しい女が現われ、彼を挑発した。男がシャッターを切ろうとした瞬間、彼は何者かに襲われ、ガンリンをかけられ焼かれてしまう。村の保守官ダン・ギルズ(ジェームズ・ファレンティノ)は、その晩、車の中の黒焦け人間を発見する。彼はまだ生きており、身元調査の結果、ジョージ・レイモンというカメラマンであることがわかる。次の晩、泥酔して漁船のデッキを歩いていた1人の漁師が、何者かによって殺されるという事件が起きる。一方まだ意識を持ち続けていたレイモンが、実は看護婦だった海辺の女に殺された。それから、村では、相次いで怪奇な事件が続き、調査を急ぐダンは、自らも交通事故に遭遇してしまう。フロントの部分に残っていた人間の皮膚を病院で調べるダン。彼は、その皮膚が3カ月前に死んだ人間のものであることを知って唖然とする。翌日、行方知れずになっていた家族の自家用車が海中から発見されるが家族3人の姿は見えなかった。同じ日、若いヒッチハイカーの娘が襲われ、顔を潰された。村の検死官であり葬儀屋であるドッブス(ジャック・アルバートソン)は、彼女の顔を元通りにしてやろうと、自分の研究室に安置した。彼は、破壊された死体を美しくすることに快感をおぽえていたのだ。ダンの妻ジャネット(メロディ・アンダーソン)は、小学校の教師をしていた。ブードゥー教と魔術に関する本を彼女のひき出しから見つけたダンは彼女の授業を聞くため学校を訪れた。何と、彼女の生徒の中に行方不明になっていた少年の姿があった。調査を進めるうちに、ダンには、ある人物が浮かび上がってきた。身許不明の死体公示所で勝手に死体を使ったために州の仕事を解雇されたドッブスだ。そして、ドッブスの所に行ったダンは、彼の口から恐しい事実を耳にする。ジャネットは、実は数年前に死んでおり、今いっしょに生活している彼女は・ドッブスが修復したゾンビであるというのだ。ショックを受けた彼の目の前で、恐しいフィルムが回りはじめる。それは、人間が残酷な方法で殺されるシーンで、村で起こった怪奇な事件の記録も混っていた。やがて現われるジャネット。墓に埋めてと頼む彼女を墓地に連れて行くと、そこに、ゾンビと化した村の人々が群らがってきた。中にはレイモンや漁師もいた。戦慄するダン。しかし、驚くダンも自分がゾンビであることにやがて気がつくのだった。つまりこの村全体がゾンビの村だったのだ。
80年代前半というのは、恐怖映画の主流がスプラッタに移行していった時期だった。似たような題名の映画が立て続けに上映され、観客は恐怖と混乱と狼狽のるつぼに叩き込まれたのである。
本作
「ゾンゲリア」もそんな中の1本で、よく
「サンゲリア」とごっちゃになる。さらに
「ザンゴリラ」というダイナミックなタイトルの映画まであり、もうこうなると何がなんだかわからない。
これらはもちろん日本の配給会社が
勝手につけた題名で、おどろおどろしくて5文字なら何でもいいんだよという姿勢がじつに素晴らしい。
少なくとも原題の「死体と埋葬遺体」という地味さ加減よりは、よほど鑑賞欲をかきたてられる題名であることは間違いないと思う。
他意は全くないが、飲料メーカー
「サンガリア」というのも語感は近い。
当時、映画館では内海賢二(たぶん)の声で
「サンゲリア!」とか
「サランドラ!」とか
「死霊のえじき!」とか、題名をうなるように叫ぶ予告編がいっぱい流れていた。当時ビビリだったぼくはそのせいで一時、テレビから内海賢二の声が流れると、すかさずチャンネルを変えていた。恐怖映画の予告を思い出してイヤだったからだ。あの声が怖くなくなったのは、ようやく「Dr.スランプ アラレちゃん」でセンベエさんの声をやってからのことだった……ってどうでもいい話だが。
タイトルからなんとなく連想できるように、本作はゾンビ映画である。
が、いわゆるゾンビものを期待して見始めると肩透かしを食らう羽目になる。中盤までは謎の集団による殺人事件ばかりで、ゾンビのゾの字も出てこないからだ。
じつはこの謎の集団がゾンビなのだが、あえて説明を伏せているために、途中までは地方のカルト集団が人殺しをしているように見える。
殺されたはずの人たちがなぜかポッターズ・ブラフで生活していることが明らかになる中盤以降で、ようやくゾンビ的要素が登場してくるのだが、ここでのゾンビは、本来のブードゥー教で言われる姿に近い。
つまり、ヨタヨタ歩きもしないし人間を襲って食べたりもしないのだ。
普段の生活態度は普通の人とまるで変わりなく、仕事もこなすしちゃんと感情もあり、
亭主に「アイラブユー」とか言うのである。
消化されるのかどうか知らないが、ごはんさえ食べている。
仲間を増やすために彼らがとる手段は、噛んだり引っかいたりではなく、集団で押さえつけて殴り殺したり焼き殺したりというものだ。
見た目は普通の人間だから、殺害シーンは食人系ゾンビよりもイヤな感じだが。

そうは見えないが、これが全員ゾンビ。
死人であるため、ゾンビを作り出している元締めによって
定期メンテナンスを受けないと体が腐ってしまうが、それ以外は生きた人間とほとんど同じというのが本作のゾンビなのである。
というわけで、内臓を引きずり出して食べたりとかいった描写はない。
もちろん、それを補う残酷描写は別に用意されている。
有名なのは、油をかけてコンガリ焼き殺したはずなのに、それでも生きていた包帯ぐるぐる男の目玉に、看護婦がプスッと注射をして止めを刺す場面。
この場面はよく当時の雑誌やなんかにも載っていたので、覚えている人も多いかもしれない。
他には、医者の鼻の穴にムリヤリ薬品を注入して、顔面をドロドロに溶かしてしまうシーンや、ヒッチハイクの少女の顔面に石を叩きつけてぐっちゃぐちゃにしてしまうシーンが印象的だ。

薬品を注入され、鼻から煙を出して苦しむ医者。
余談だがこのヒッチハイク少女役が
リサ・マリーという女優さんなので、てっきりティム・バートンの元妻の人かと思ったんですが別人みたいです。コメントで教えてくれた通りすがりさま、ありがとうございました!

登場から3分もしないうちに死亡。
とまあこんなふうに、ショック描写はあるものの、ゾンビたちが怖いわけではないこの映画。
じゃあ何が怖いのかというと、その鍵を握るのは多分、脚本のダン・オバノンだ。
サイトの紹介では「エイリアンの」と書かれていることが多いオバノンだが、オバノンでゾンビといえば「バタリアン」だろう。
ロメロの「ゾンビ」の続編という位置づけで作られた「バタリアン」でさえ、喋ったり走ったりと
かなり独自のゾンビ解釈を見せていたオバノン。
ゾンビに自我はあるのかと訊かれたら、ハッキリ「ある」と答えるに違いない人である。
というのも、「バタリアン」「ゾンゲリア」とも
似たシーンが登場するからだ。
「バタリアン」では徐々にゾンビになっていく主人公が、最後には自ら焼き場に入って自殺する場面があった。
「ゾンゲリア」では、ゾンビであることがばれた主人公の妻が、自ら墓穴に飛び込み「私は死体なの、埋めて!」と主人公に哀願する。
これは、ゾンビになっても自我があったとしたら、人間でないものとして生きるか人間として死ぬかという選択を登場人物が迫られたということだ。
オバノンはきっと
「自分がゾンビになったらどうするか」
とか考えたことがあると思う。
ぼくもある。
ゾンビは他のモンスターと違い、誰でもなれる可能性があるだけに、こうした「キミならどうする」的描写はグッとくるのである。
つまりこの映画の怖さとは、ゾンビが襲ってくる怖さではなく、自分がゾンビになってしまうこと、ひいては死ぬということへの恐怖なのだといえるだろう。
ただちょっと笑ってしまうのはラストのどんでん返し。
(※)ここからオチをばらすので、知りたくない人は読まないように。
「埋めて!」
と懇願する妻を、主人公は涙ながらに埋葬する。
その足でよろよろとゾンビの元締めのところに訪れると、その元締めから
「言い忘れてたけどキミ、もうゾンビだから」
と
あんまりなことを告げられる。
はっと手を見ると確かに腐り始めていて、
「うわーーーっ」
と叫ぶ主人公のアップで映画は終わる。
……どんでん返しか?これ。
なんの伏線もなくいきなり”主人公もゾンビでした”と言われるので、取って付けた感はぬぐえないし、
「このあとまた
嫁さんを掘り出しに行ったんじゃないか」
とか余計なことまで考えさせてくれる。
それまでが抑えた感じで非常にいい雰囲気だっただけに、いっそうだいなしっぽさが際立つ結果になってしまった。
そこがいいわけだが。
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