社会の窓からこんにちわ 2021-01-14T18:46:46+09:00 長文のエントリーが多いので、休み休み読んでいただくのがいいかと思います。
トラックバックやリンクはご自由にどうぞ。
JUGEM 数年ぶりです。 http://cat-punch.jugem.jp/?eid=119 2011-06-28T23:23:46+09:00 2011-06-28T14:23:46Z 2011-06-28T14:23:46Z 長年の放置ごめんなさい。
コメントも拝見してますが、お返事できずにごめんなさい。
ものぐさのせいです。
でも、まったく更新していないにもかかわらず、訪問してくれるかたがいて、本当にありがたいです。
2年ほど前は、このブログがきっかけで、NHK-BSの番組に... 猫パンチ 雑談
コメントも拝見してますが、お返事できずにごめんなさい。
ものぐさのせいです。
でも、まったく更新していないにもかかわらず、訪問してくれるかたがいて、本当にありがたいです。
2年ほど前は、このブログがきっかけで、NHK-BSの番組に参加することもできました。といっても緊張でうまく発言できず、ほぼ観覧者状態でしたが。
自分でもときどきエントリーを読み返してみますが、そのたびに、ぜんぶ書き直したくなります。
ものぐさなのでしませんが。
更新はしてませんが、とりあえず元気でやってます!
以上、報告でした。
]]> ゲド戦記◇ハイタカ流 爆睡座禅鎮。 http://cat-punch.jugem.jp/?eid=117 2006-08-23T01:59:08+09:00 2006-08-23T14:48:07Z 2006-08-22T16:59:08Z
ゲド戦記
<2006年/日本/115分>
解説: アメリカの女流作家アーシュラ・K・ル=グウィンの「ゲド戦記」シリーズを、スタジオジブリが映像化したファンタジー・アニメ超大作。宮崎駿監督の実子である宮崎吾朗がメガホンを取り、少年アレンと大賢人ゲドの旅を通じて... 猫パンチ 映画 カ行
ゲド戦記
<2006年/日本/115分>
解説: アメリカの女流作家アーシュラ・K・ル=グウィンの「ゲド戦記」シリーズを、スタジオジブリが映像化したファンタジー・アニメ超大作。宮崎駿監督の実子である宮崎吾朗がメガホンを取り、少年アレンと大賢人ゲドの旅を通じて混迷する時代を生き抜くためのメッセージを投げかける。V6の岡田准一、菅原文太ら新旧の実力派が存在感ある声の演技を披露するほか、主題歌と挿入歌も担当した手嶌葵の圧倒的な美声にも心奪われる感動巨編。
ストーリー: 多島海世界のアースシーでは、聖なる生物の竜が共食いを始め、農民は田畑を捨て、職人は技を忘れていくなどさまざまな異変が起こり始めていた。やがて人々が魔法を信じることができなくなったとき、大賢人ゲドは世界のバランスを崩す者の正体を突き止めるための旅に出て、国を捨てた王子アレンと出会う。
監督:宮崎吾朗
原作:アーシュラ・K・ル=グウィン
脚本:宮崎吾朗 、丹羽圭子
音楽:寺嶋民哉
声の出演:
岡田准一(アレン)
菅原文太(ゲド)
手嶌 葵(テルー)
風吹ジュン(テナー)
小林 薫(国王)
夏川結衣(王妃)
倍賞美津子(物売り)
香川照之(ウサギ)
田中裕子(クモ)
原作も読んだことないし、はじめはそれほど鑑賞意欲はなかったんだけど、参考にと思って事前にYAHOO!映画のユーザーレビュー を軽くチェックしてみたところ、目を疑うような酷評の嵐。
なにせ5点満点で平均2.3点という有様であった。ちなみに、他のジブリ作品は軒並み3.5以上。
ひとのつけた点数なんてアテにはならないし、ソフト化されたらまた点数も上がったりするかもしれないが、とりあえず劇場に観にいった人のうち、少なくない人数がガッカリしてるんじゃないか、ということは推測できる。
そうなるとがぜん観てみたくなるから、人間というのは不思議だ……って、人間全体に適用できるほど普遍的な反応じゃない 気もするが。ともかく、勇んで劇場へ向かったのだった。
上の「解説」にもあるとおり、監督の宮崎吾朗は宮崎駿の息子さんだが、本作の監督を務める以前はジブリ美術館の館長をしていたらしい。つまりアニメ制作の実務に関しては、知識はあるかもしれないが経験ゼロ ということで、ジブリも思い切った人選をしたものである。
つまり、いくら宮崎駿の子供だとはいえ、素人の初監督作品 というわけで、いつものジブリ作品と同じに考えて観ては、そりゃYAHOO!のレビューも荒れるだろう。
いいほうにも悪いほうにも、期待しすぎてはいかん。
それを強く念頭において鑑賞したわけだが。
正直、設定がところどころ空回りしているような印象を受けた。
たとえば以下のような感じ。
主人公のアレン王子は、ときどき自分の凶暴性を抑えられなくなる性質らしく、冒頭で、父である王をナイフで刺し殺して 逃亡の旅に出る。
ヒロインであるテルーは、親に虐待されて捨てられたために、顔に大きなやけどの跡が残っている。それがトラウマになっていて、他人が嫌い 。
アレンとゲドが立ち寄った街では、街中で平気で麻薬が売られていて、その気になれば誰でも入手できる。
これらはもちろん「キレる若者」「アダルトチルドレン」「ダメ。ゼッタイ。 」といった、現代社会の諸問題を反映したものであろう。
それはわかるが、ちとダイレクトすぎやしまいか 。
ダメ。ゼッタイ。
なおこのアレン王子、立派な王の息子であるというプレッシャーから、自分の中の良心にあたる部分から目をそむけ続けた結果、人格が分裂 。それでこんなキレやすい若者になったり父を殺してみたりという設定なんだが、これも監督から見た、自身と駿の親子関係を反映してるんじゃないだろうか。実際のところどうなんだか知らないが、仕事にかかりきりで、家庭的なことは妻に任せっぱなしな王の描き方とか。
もしほんとうにそうなんだったら、ベタなことこの上ないわけだが。
この先はストーリーの最後まで触れていますので、知りたくない方はブラウザを閉じてください。
もう鑑賞済みのかた、もしくは鑑賞しないからいいやって方は、引き続きご覧ください。
父を殺し、彼の持っていた、魔法で鍛えられた剣を奪い取って国を飛び出したアレン。
狼の群れに囲まれて
「お前たちがぼくの死か」
絶体絶命なわりに悠長 なことを言っているところを、たまたま通りがかったゲドに助けられ、一緒に旅をすることになる。
世界中で、竜が共食いしたり、魔法使いが魔法を使えなくなったりといった異変が起こっていて、
「世界のバランスが崩れたのが原因だ」
とにらんだ大賢人ゲドは、そのバランスを崩したものを探すために、あちこち旅をしていたのだ。
ところでアレンに名前を尋ねられたゲドは「ハイタカ」と答えるんだけど、彼は以後ずっと最後までその名で通し、劇中「ゲド」と呼ばれるのはたった1度きり。
この世界の人は通り名の他に<本当の名前>というのを持っていて、それを他人に知られるとえらいことになってしまうため、普段は通り名を使うことになっているらしい。
そういうわけなので、以下ゲドのことはハイタカと表記。
たどり着いた街で、少女が人さらいに襲われているのを見かけたアレンは、持ち前のキレやすさ を発揮して賊を撃退するが、少女は礼も言わずに逃げ去ってしまった。
その後、海辺でうたた寝をしていたアレンは、人さらいの逆襲 にあい、ボコボコにされたうえに奴隷として売り飛ばされそうになるが、「人探しの術」で飛んで来たハイタカに助けられる。
怪我を負ったアレンを連れて、ハイタカが旧知の女魔法使いテナーを訪ねると、そこにはアレンが助けた例の少女・テルーもいた。彼女はテナーの養女なのだった。
自分を助けるときに言ったアレンのセリフ
「命なんかいるか」
というのが気に食わなかったのか、
「命を大事にしないやつは大嫌いだ」
「近寄るな」
「そこをどけ」
と、恩人のはずのアレンに、ドM以外はとうてい歓迎できない態度をとり続けるテルー。
アレンもアレンで、何も言い返せないままうじうじと 時を過ごすが、ある日草原でテルーが、持ち歌 「テルーの唄」を歌うのを聴き、なぜか突如ぼろぼろと落涙 。
テルーもそれを見て心変わりしたのか、手のひらを返したように仲良く接するようになる のであった。って、若いものの心の動きはよくわからんよ。
さて、アレンやテルーを襲った人さらいは、クモという悪い魔法使い の手下であった。
永遠の命を欲するクモは、どうも過去にハイタカと因縁があるらしい。彼が街にいることを知ると、アレンとテナーをさらってハイタカを自分の城に呼び出した。
計略どおりにクモの城に飛び込んだハイタカを待ち受けていたのは、まんまとクモに操られたアレン であった。
王子をなんとか正気に戻すことに成功したものの、ハイタカはいきなり魔力を失って、あっけなく捕えられてしまう。クモの城の中では、魔法を使えなくなってしまっていたのだ。
ハイタカとテナーは夜明けとともに殺されてしまうというのに、せっかく正気に戻ったアレンはボーっとしたまま動かない。そこへ、煮え切らない主人公に喝を入れるため に、テルーがやってきた。
助けに行かないと2人とも死んでしまうと訴える彼女に、
「でも死ってよくわかんないし」
とすっとぼけた答え を返すアレン。
もうこいつ放っとけよと誰もが思うシーンであるが、そもそもそれ以前に、ここまでの展開がかなり平板というか退屈なので、半数ぐらいの客が、誰が死のうがどうでもいいよ という投げやりな気持ちになっていることも事実。
それより観客にとっては、あとどれくらいで終わるのかというほうが切実な問題なのであった。
説得の末、理屈で納得してというよりは、好きな女が励ましてくれたからという感じ で、ようやくハイタカ救出を決意するアレン。
テルーとお互いに<本当の名前>を告げあうと、画面にぶわーっと竜が現れて見得を切るのであった。どういう意図の演出なのかはよくわからないが。
さてハイタカとテナーは、城にある物見やぐらのてっぺんに引き出されていた。
どうやらクモは、ここから突き落として 殺そうというつもりらしい。
しかしハイタカは、やぐらのフチに立たされても、平然と余裕を保っているのであった。
さすが大賢人、ただ捕まったのではなく、何か奥の手があったのか。
「心配は要らない」
静かにテナーに語りかけるハイタカ。
「聞こえる、希望 が近付いてくるのが」
その希望の正体はなにかというと、二人の救出に駆けつけたアレンとテルーであった。
他力本願か。
ラスボスを前に、父である王を殺したときにアレンが奪った魔法の剣、人さらいからテルーを救うときでさえ断固として抜けなかったその剣が、さすがにクライマックスだしというサービス精神 のおかげで、見事に鞘ばしってみせる。
そうでなければ、さっきまで死の意味がわからないとか言ってた王子が
「抜けてくれ、命のために !」
と都合のいいこと を叫んだ程度で抜ける理由がわからない。
ともかく、ひらめいた魔法の剣は、クモの右腕をばっさりと切り落とす。
するとクモは、みるみるシワシワにしぼんでいったではないか。若さを失ったクモは、もはやこれまでとテルーをさらい、さらに高い塔の上へと逃げていく。
アレンはすぐさま追いかけるが、ちなみにこのとき、助けられたハイタカはただ成り行きを見ているだけ。
大賢人の選考基準が知りたくなる ほどの、圧倒的な無策ぶりを見せつけてくれた。
さてここからは、いよいよ本当にラストシーンなので、知りたくない人はブラウザ閉じてください。ここまで書いておいて何だ、という声もあろうかと思うが。
クモを追い詰めたアレンは
「死から逃げようとするのは、生から目をそらすのと同じだ」
と、お前が言うな といわれたら反論できないような言葉の数々で、必死に説得を試みるが、それもむなしくテルーは絞め殺されてしまう。
「しーんだ、しーんだ……」
若さとともに知能も失ったクモの、のどかなつぶやきが流れるが、どっこいテルーは生きていた 。
怒りの形相でむっくり起き上がるテルー。
登場人物および観客一同、何が起こっているのかと唖然とする中、彼女はその姿をみるみる変えていく。
何と彼女の正体は、巨大な竜 なのであった。
「しーにたーくなーいーぃ」
反則的な顔芸 とともに哀願するクモであったが、
「闇に帰れー!」
と怒りのドラゴンブレス を喰らってあえなく蒸発。
命を大事にしないやつは殺してやる ってことで、いちばん怖いのは彼女なのだった。
クモの死とともに城が崩れ始めるが、竜となったテルーはアレンを乗せて飛び去っていく。それを見送るハイタカとテナー。
「大丈夫だ、あの子たちには翼がある」
いっぽう地上に降りた竜は、テルーの姿に戻り……って、なぜ服まで もとどおりになっているのか。そんな魔法はいらない。
「父殺しの罪を償うために、国へ帰ろうと思う」
と語るアレン。
そこへ、ハイタカとテナーが迎えに やってきた。
さっきのは、若い2人の旅立ちを見送ったんじゃなかったのか。
そしてそのままテナーの家で畑仕事を手伝う アレンとハイタカ。
国に帰るのは、すぐにって意味じゃなかったのか。
2重3重のグダグダの中、エンドロールでようやくハイタカとアレンは旅に出るのであった。
原作もこんな感じなんでしょうか。
この何ともいえないグダグダな感じ、主人公である王子様の性格によるところが大きいと思う。ちょっとまとめてみると、以下のような感じだ。
☆キレやすい若者であるが、ふだんはウジウジしているうえ受け身な性格。低血圧そうな感じで、しゃべりも決断力もハッキリしない。
☆父を殺して「とんでもないことをした」と口では言うものの、後悔のそぶりもなく ケロリとしている。
☆父殺しについて、「なんで殺したのか、自分でもよくわからない 」と激白。
☆でもテルーの歌を聴いて、いきなり泣き出す感受性の持ち主。
どうだろう、主人公だというのにこのわからなさ。
ほんとうに一人の人間なのか と思うぐらい、場面に応じて性格が変わって見える。
タイトルで「戦記」となっているくせに、ほとんど活躍の場がない 大賢人ゲドもどんなもんだろう。なにせ振り返ってみれば、後半はただとっ捕まっていただけ という体たらくである。
最終的には、彼が探していた「世界のバランスを崩した原因」もどこかへうっちゃられてしまい、根本的な問題は解決しないまま 映画が終わってしまう。
しかし「魔法使いが魔法を使えなくなった」という割には、ハイタカやクモはモリモリ魔法を使っていた 気がするが。
なんだかいろいろ釈然としないもの が残る映画であったが、とりあえず、原作者の名前はものすごくかっこいい なと思った。]]>サイレントヒル◇燃え続ける記憶の中で。 http://cat-punch.jugem.jp/?eid=116 2006-07-01T20:58:29+09:00 2006-07-08T10:45:15Z 2006-07-01T11:58:29Z
サイレントヒル
2006年/アメリカ・日本・カナダ・フランス/126分
原題:SILENT HILL
監督:クリストフ・ガンズ Christophe Gans
製作:ドン・カーモディ Don Carmody
サミュエル・ハディダ Samuel Hadida
製作総指揮:ヴィクター・ハディダ ... 猫パンチ 映画 サ行
サイレントヒル
2006年/アメリカ・日本・カナダ・フランス/126分
原題:SILENT HILL
監督:クリストフ・ガンズ Christophe Gans
製作:ドン・カーモディ Don Carmody
サミュエル・ハディダ Samuel Hadida
製作総指揮:ヴィクター・ハディダ Victor Hadida
アンドリュー・メイソン Andrew Mason
山岡晃
脚本:ロジャー・エイヴァリー Roger Avary
撮影:ダン・ローストセン Dan Laustsen
クリーチャーデザイン:パトリック・タトポロス Patrick Tatopoulos
プロダクションデザイン:キャロル・スピア Carol Spier
衣装デザイン:ウェンディ・パートリッジ Wendy Partridge
編集:セバスチャン・プランジェール Sebastien Prangere
音楽:ジェフ・ダナ Jeff Danna
スーパーバイザー:パトリック・タトポロス Patrick Tatopoulos
出演:
ラダ・ミッチェル Radha Mitchell(ローズ)
ショーン・ビーン Sean Bean(クリストファー)
ローリー・ホールデン Laurie Holden(シビル)
デボラ・カーラ・アンガー Deborah Kara Unger(ダリア)
キム・コーツ Kim Coates(トーマス)
ターニャ・アレン Tanya Allen(アナ)
アリス・クリーグ Alice Krige(クリスタベラ)
ジョデル・フェルランド Jodelle Ferland(シャロン)
コナミの人気ホラーゲームを「ジェヴォーダンの獣」のクリストフ・ガンズ監督で映画化。廃墟と化した不気味な街に足を踏み入れた一組の母娘を、想像を絶する恐怖が襲う。主演の母親役に「ネバーランド」のラダ・ミッチェル、その娘シャロン役には「ローズ・イン・タイドランド」で注目を集めたジョデル・フェルランド。
ローズとクリストファーの夫婦は、9歳になる娘シャロンの奇妙な言動に悩んでいた。しばしば情緒不安定になり、“サイレントヒル”とつぶやくシャロン。彼女を救う手掛かりを探すローズは、やがてサイレントヒルという街が実在することを突き止める。そこは、30年前に大火災に見舞われた忌まわしい過去のため今では誰も近づかないゴーストタウンと化していた。ローズはクリストファーの制止を振り切り、シャロンを車に乗せその街を目指す。しかしサイレントヒルへと続く狭い道の途中で事故に遭い、ローズは気を失ってしまう。彼女が意識を取り戻したとき、そこにシャロンの姿はなかった。ローズはシャロンの行方を追って、サイレントヒルの奥深くへと彷徨い込んでいくのだが…。
<allcinema ONLINE より>
公式サイト:<日本版 ><海外版 >
やあ 暗闇よ 我が旧き友人よ
我ふたたび汝とまみえ 語らわん
怪しい引用はさておき、試写会でひと足お先に鑑賞してきた。
上にも書いてあるように、この映画、もとはホラーアドベンチャーゲームだ。
ゲーム原作の映画といえば、デニス・ホッパーがどういう経緯でかクッパ大王 を演じた『スーパーマリオ』、いちばん似ていたのがザンギエフだった『ストリートファイター』、ゾンビはあまり関係なくなってしまった『バイオハザード』など、ゲームファンにとっては煮え湯 を飲まされ続けてきた、ある意味黄金のジャンルである。
それら一連の作品は、「ゲームが映画に近付いた」という妄言 を
「近づいたもなにも別ジャンル なんだよ」
と軽く一蹴するキック力。
ゲーム側から見れば
「これは違う」
という確信 に満ちていたわけだが、それは「映画にしてあげる」という映画側の思い上がりがもたらした部分もあったんじゃないか、ということが、本作『サイレントヒル』を観るとよくわかる。
つまり従来のゲーム原作映画を観て
「俺ならこう撮るのに!」
と悔しく思っていた、まさにそいつ が撮った映画が『サイレントヒル』なのだ。
実際に監督が悔しく思っていたかどうか知らないが、少なくともそう感じさせる出来であった。
ゲームと較べて変更点はいくつかある。
主人公が父から母になったこと。
サイレントヒルという街の現状。
あとネタバレになるので詳しく書かないが、怪異の核心に介在するものの存在を設定したこと。
変更点はいくつかあるが、観終わった印象は、まぎれもなく「サイレントヒル」であった。それは、「サイレントヒル」という世界を成り立たせている要素を抽出し、映画に再構成する手際がとてもすぐれていたせいだと思う。
たとえば、ゲームでは敵探知機として非常に重要なアイテムであるラジオだが、これは映画には出てこない。
そのかわり、別のアイテムで1回だけ、例のノイズを再現してくれている。
その使い方が非常にうまい。
一見なにげないが、ゲームを深いところまで把握していないとできないシーンだと思う。
一方、ゲーム版をやってた人にはうれしいシーンもちゃんと用意されている。
冒頭で主人公が迷い込む路地が、ゲームとほとんど同じ であること。
「1」がベースだが、なぜか「2」の怪物も出てくること(納得いかない部分もあるが)。
ゲームやってて「おぉすげえ美人!」と思わずコウフン させられた、裏世界の看護婦さんも、ちょこっとだけ出演。
もちろんシビル婦警も出てくる。彼女は原作以上の退場の仕方 をしてくれるが、あれはうれしいと言っていいのかどうか。
確実にうれしかったのは、サイレンとともに裏世界に変貌していくサイレントヒルの町を、大迫力の映像 で観られたこと。あのためだけに劇場に行ってもいいと思う。
こういう映画だと、ラストに巨大な怪物が出てきて、主人公に倒されて大爆発、エンド。みたいなパターンが多いが、まさかそういうのを期待してこの映画に足を運ぶ人はいないだろう。
これは書いても構わないと思われるので書くが、この映画、主人公は一匹も怪物を倒していない。ザコさえ倒してないのだ。
もちろんラストで巨大な怪物なんか倒してないし、そもそもそんなもの出てこない。
じゃあどんなものが出てくるのか……ってそれ書いたら絶対に誰かに殴られる から秘密だが、ラスボスとの新しいあり方 を提示してあった、とだけ書いておく。
DVDになったらたぶんもう一回エントリー書くと思うので、内容に関する感想はそのときまでおあずけしたいが、とりあえずゲームのファンなら絶対に損はないから、なるべく劇場で観ていただきたい。
ゲームやらない人も、これだけ外さないホラーも近年珍しいので、ハリウッド製の気の抜けたサイダーみたいな「自称ホラー」にうんざりしてる人なんかにはとくにオススメ!
って、なんかアフィリエイトっぽい文章 になってるが。
あ、ところで本文のとっかかりに書いた「怪しい引用」の出典に気がついた方はコメントください。
正解者には、なんかあげます。
]]> ワールドカップ記念◇サッカーによく似たスポーツ。 http://cat-punch.jugem.jp/?eid=115 2006-06-14T21:46:25+09:00 2006-06-14T12:57:34Z 2006-06-14T12:46:25Z バイト先を含め、少なくとも周りでは、ぼくを除いてたいがい盛り上がっているサッカーワールドカップ。
ロクにルールも知らないぼくのような人がどうこう言う話じゃないのはわかっているが、一点だけ言わせていただきたいことがある。
サムライブルーって何だ。
... 猫パンチ 不謹慎な話題 ぼくを除いてたいがい盛り上がっているサッカーワールドカップ。
ロクにルールも知らないぼくのような人がどうこう言う話じゃないのはわかっているが、一点だけ言わせていただきたいことがある。
サムライブルー って何だ。
もう言いたいのはそれだけである。
サムライブルー 。
もう一回言ってみた。
日本代表のイメージカラーなんじゃないかってのはわかるが、なんでサムライなのか。ほとんどの国民が、先祖はお侍じゃないっていうのに。
「サムライブルー 」といわれると、憂鬱そうなお侍 の姿が思い浮かんでしまいやしないか。それはぼくだけなのか。
サムライに限らず「悲劇」とか「戦士」とか「守護神」とか、気付けばサッカーの劇的ぶりは大変なことになっている。
そのうえシュートが決まったら、アナウンサーが
「ゴォォォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーール」
と叫ぶのだ。
ものすごい劇的ぶりだと言える。
Jリーグ発足以前、国民的中毒スポーツの王座にあった野球でも、そこまで酔いしれてなかったように思う。
まあ野球も全く詳しくないので推測だが、すくなくとも今のサッカーのように、興味ない人の耳にまで大げさな表現は入ってこなかった。
そういう劇的表現は、長嶋あたりのほんとうに特殊な人 にのみ許されたものだったはずだ。
ここ数年で「劇的」が本当に安くなった ことを勘定に入れても、やっぱりサッカーの「劇的」大安売りは、従来のスポーツ表現の本道から外れているんじゃないか。
……と、そういう流れで考えてみたとき、じつは現在のサッカーのありようは、プロレスのそれ により近いんじゃないかということに思い当たった。
考えてみれば、ジャンボ鶴田のジャンピングニーパットが決まったときにアナウンサーが
「ジャァァァァァァァァンピングニィィィィィィィーーーーーーーーー」
と叫ぶのは、
「ゴ(中略)ール」
と同じだ。
「伝説」「戦士」「革命」といった表現の劇的ぶりも重なるし、選手に「皇帝」だの「黒豹」だのと異名がつくのは「生傷男 」とか「人間山脈 」なんかと同じ意味だろう。
そう考えたらワクワクしてきたな。
誰かサッカー漫画「サッカー・スターウォーズ」描いてくれないだろうか。
敵チームの反則攻撃に、満場の子供たちが
「うわぁぁーん、中田さんが死んじゃうよぉーーーーッ」
と泣くような内容でどうか。
その後、鬼のような形相の釜本 が現役復帰してきたり……って、何を言ってるのかわかんない人は「みのもけんじ プロレス」でググってごらんなさい。
なるほど、サッカーはスポーツである以上に興業なのかもしらん……とか言い出すと、必要以上に怒られそうな気がするので、そのへんはスルー で。
と、劇的問題にはケリがついたところで話を戻すが、サムライってのはやはりどうかと思うのだ。心の中で気取るには構わないが、キャッチフレーズにするというのはやっぱり選手も恥ずかしいんじゃないか。
ここはひとつ、サムライに換えて
「ニンジャ」
でどうだろう。
イメージカラーも黒にして
「ニンジャブラック」
とか言ってみると、その強そうなこと といったらない。
侍よりもむしろ世界的に認知度も高いし、いいと思うのだが。
って、サムライブルーだニンジャブラックだと言ってると、ちょっと戦隊もの みたいだな。
テンプライエロー 。]]> 三つ子の魂◇五ヶ月ぶりの言い訳。 http://cat-punch.jugem.jp/?eid=114 2006-06-11T23:52:29+09:00 2006-06-11T14:59:18Z 2006-06-11T14:52:29Z お久しぶりです。
はじめに断っておくが、この記事、mixiに今日書いた日記のほぼコピペだ。
久々の更新だというのにこの仕打ち。
どういう話かというと、小学校〜中学校までの通知表を読み返してみたところ、担任からのコメントの傾向が驚くほど一致してることに気が... 猫パンチ 雑談
はじめに断っておくが、この記事、mixiに今日書いた日記のほぼコピペ だ。
久々の更新だというのにこの仕打ち 。
どういう話かというと、小学校〜中学校までの通知表を読み返してみたところ、担任からのコメントの傾向が驚くほど一致してることに気がついた。
毎年担任は変わるにもかかわらず、言われることは一緒。
ちょっと皆さんにも見ていただきたいと思って書いたものだ。
どうして復活一発目がこの記事なのか、それは読んでもらえればわかると思う。
ではどうぞ。
★小2(8歳)
「学習態度は、私語多く、話をよく聞けず、作業のとりくみが悪い のがとても残念です」(一学期)
「二学期は力がやや落ちました。原因は聞く能力は優れているのに、話を聞かないためと、私語して作業にまじめにとりくまないので、時間内で終わらなくなり最後の仕あげが不充分のせいと思われます」(二学期)
★小3(9歳)
「気分により学習態度にムラがある」(一学期)
「真剣な取り組みの様子が少なく、長続きもできません」(二学期)
★小4(10歳)
「学習中の手遊びが多く、聞きそこなって テストなど失敗することが度々あります」(一学期)
「宿題忘れや、学習道具をもたないことが多く、机の中や上は、整理ができず乱雑です 」(二学期)
★小5(11歳)
「人の話を聞く態度がまだまだのようです」(二学期)
★小6(12歳)
「忘れ物が非常に多く、毎日のように注意を受けることがありました」(一学期)
★中1(13歳)
「個性的でのびのびしていますが、課題忘れ(社会・数学など)等があります。ややルーズな面 を直すようにさせてください」(一学期)
★中2(14歳)
「マイペースでやるのもよいが、そろそろ本気で学習に取り組んでほしい」(三学期)
★中3(15歳)
「テストにより教科により点差が大きいようです。日ごろの着実な学習が今一歩足りないようです」(一学期)
「日頃の生活態度では課題忘れ、作品未提出など忘れ物が目だつようになり残念です」(二学期)
小中通じて、ほぼ同じことを毎年毎年言われ続けているのがよくわかるな。
先生、よく見てた。
要するに人の話をまじめに聞かない、提出物を出さない、集中力がない。
ないないづくしである。
成績も国語以外はおおむねダメ で、もうほんとに劣等生と言ってよかったと思う。
告白するが、いまだに
「学校に行ったはいいが、今日提出しなくちゃいけないもの(宿題とか課題とか)が全くの手付かずで困る」
という夢 を時々見る。
36歳にもなって、もうそういうものから開放されて15年はたつというのに、いまだにそういう夢を見る。
目が覚めて、夢だとわかったときの安心 といったらないが。
で、小中通してこうだということは、性格の基本がこうだということだ。
そりゃ締め切りにも遅れたり、ブログも復活するといったまま放置してたりするよな。
……と、ここまで読めばもうわかったと思うが、ブログ放置の言い訳エントリー なのであった。
でもほんとに復活はしますよ。
なお、お知り合いのかたでmixi参加希望のかたは、プロフの宛先にメールください。招待メール差し上げます。]]> ランド・オブ・ザ・デッド◇死人の下克上。 http://cat-punch.jugem.jp/?eid=113 2006-01-18T19:20:25+09:00 2006-01-28T18:50:49Z 2006-01-18T10:20:25Z
ランド・オブ・ザ・デッド ディレクターズ・カット
<2005年/アメリカ/93分>
■スタッフ■
脚本・監督:ジョージ・A・ロメロ
製作:マーク・キャントン、バーニー・ゴールドマン、ピーター・グルンウォルド
製作総指揮:スティーヴ・バーネット、デニス・E・ジ... 猫パンチ 映画 ラ行
ランド・オブ・ザ・デッド ディレクターズ・カット
<2005年/アメリカ/93分>
■スタッフ■
脚本・監督:ジョージ・A・ロメロ
製作:マーク・キャントン、バーニー・ゴールドマン、ピーター・グルンウォルド
製作総指揮:スティーヴ・バーネット、デニス・E・ジョーンズ
撮影:ミロスラフ・バシャック
編集:マイケル・ドハーティ
音楽:ラインホルト・ハイル、ジョニー・クリメック
特殊メイク効果監修:グレゴリー・ニコテロ
視覚効果スーパーバイザー:ジェフ・キャンベル、ジョン・カンフェン、アンソニー・パターソン
特殊効果スーパーバイザー:ブロック・ジョリフェ、ジェフ・スコッコ
デジタル効果スーパーバイザー:ダグ・キャンベル
VFX:KNBエフェクツ・グループ、スピンVFX、スイッチVFX、JMSスペシャルエフェクツ
■キャスト■
サイモン・ベイカー Simon Baker(ライリー)
ジョン・レグイザモ John Leguizamo(チョロ)
デニス・ホッパー Dennis Hopper(カウフマン)
アーシア・アルジェント Asia Argento(スラック)
ロバート・ジョイ Robert Joy(チャーリー)
ユージン・クラーク Eugene Clark(ビッグダディ) ほか
ロメロのゾンビが帰ってくる。
その報を聞いたとき、いちばん気になったのは、
「それはリビングデッド3部作の続編に当たるのかどうか」
という点だった。
あの大好きなサーガの新しい一編なのか、それともまったく新しい世界を組みなおそうとしたのか、それによって見方や評価が変わってくると思ったからだ。
制作時点での仮タイトルが「Twilight of the dead(死者の黄昏)」だったそうで、そこからすると「night」「dawn」「day」と同じ世界の話だと考えていいと思われる。
観終わった印象から言うと、いちばんぴったりくる位置づけは「外伝」 なんだけども。
地上にゾンビがあふれ出したため、人々は砦と川に囲まれた狭い土地で暮らさざるを得なくなっている世界。
街の中央にはきらびやかな高層タワーがそびえ立っているが、タワーに住んで安全・快適に暮らしを営めるのは、ひと握りの金持ちだけ。多くの人々はタワー周辺のスラムで暮らし、街の支配者であるカウフマン(デニス・ホッパー)に使役されるだけだった。
主人公のライリーたちスラムの住人は、ゾンビの徘徊する、砦の外の町に襲撃をかけ、物資をさらってきてはタワーに納品して日銭を稼ぐ危険な仕事で生計を立てていた。
ライリーの仲間の一人であるチョロは、タワー住人になることを夢見てカウフマンに物資を貢いだりしていたが、利用されているだけだったことに気付いて逆上。ゾンビ撃退用重装甲トレーラー「デッド・リコニング(死の報い)号」を強奪し、カウフマンに牙を剥く。
カウフマンはライリーにチョロ退治を命じるが、ライリーは従うそぶりを見せつつ、別の思惑を抱いていたのだった。
そのころ外の世界では、わずかに知性を宿したひとりのゾンビ「ビッグ・ダディ」に率いられた死者の軍団が、街をめざして行進していた……
そのルックスが役名にあんまりしっくり来ていたので、今後ジョン・レグイザモのことは「チョロ」と呼ぶことにしたい。ハリウッド版永世チョロ 決定。
ということで、今回、ゾンビのリーダーである勇者ビッグダディ(それはゆでたまご←誰がわかるんだ)は知恵をもっている。
銃や道具も使えば泳ぎもする賢いゾンビで、どうしてそうなったのかは描かれていないが、いわばニュータイプだ。ルックス的にはアムロでなくてリュウ・ホセイ だが……ってそっち方面に脱線すると話がややこしくなるので割愛。
先頭の人がビッグ・ダディ。
ゾンビを殺すために作られたゾンビカー (by哀川翔@『牛頭』 )であるデッド・リコニング号、『ドーン・オブ・ザ・デッド』に出てきたものの強化版といったおもむきで、終盤までかなり頼もしい活躍を見せてくれる。
尺玉花火を打ち上げる という賑やかな機能も有しているので、慶事にも使えて便利だ。
ホラー映画において、こういう頼もしい文明の利器は、ちょっとした不手際ですぐ役に立たなくなってしまう(もしくは逆に障害になる)ことの多い印象があるが、今回はそういうこともなく、ゾンビの群れをミサイルで撃滅 、という胸踊るシーンも拝ませてくれた。
「そんなに強くちゃゾンビなんて怖くないんじゃないの?」
そんな意見も当然出てくると思うが、正直なところその通り で、今回ゾンビはあまり怖くない。
じゃあ何が怖いのかというと……といつもなら書くところだけど、残念ながらこの映画に怖い要素はあんまり入ってないのだ。
なぜならば、本作で描かれているものは、恐怖じゃなくて反逆 だから。
気付いている人も多いと思うが、ロメロのゾンビ映画に必ず含まれているものがある。
「おもしろ半分にゾンビを狩る人々」というモチーフだ。
人間の残酷な面を観客に突きつけるそのシーンを、多くの観客は、人のもつ恐ろしい一面として受け取ったはずだし、ロメロがそんな場面を挿入した狙いもそういうところにあったんじゃないかと思う。
「この映画で本当にいちばん怖いのは、はたしてゾンビか?」と。
で、そうしたゾンビ狩りを楽しむ人々は、たいがいの場合、逆にゾンビに襲われむさぼり食われてしまっていた。
いわば因果応報を暗示してたわけだが、今回の映画では、それが明示 になっていた。どういうことかというと、これまでのゾンビの逆襲はなし崩しだったが、今回のは明らかにゾンビの意志 によるものなのだ。
『死霊のえじき(DAY OF THE DEAD)』に登場したバブ の流れを汲む、知性を持ったゾンビであるビッグ・ダディは、仲間のゾンビが人間に蹂躙されたのに怒り、復讐のためにゾンビを率いて街を目指す。
復讐といってもそこはゾンビ、生きてる人なら手当たり次第に襲うため、平和に暮らしていたスラムの一般市民はまっさきに血祭りに上げられていくわけだが。
金持ちからもゾンビからも苦しめられるスラム住民にとっては大いに迷惑 といえるが、ゾンビにしてみれば、街で暮らしてるやつらは全部仲間という認識だろうから仕方がない。
ここでちょっと整理してみると、人間側では、しいたげられた貧民が金持ちに反逆。
いっぽう、金持ちも貧民もひっくるめた人間全体に対し、しいたげられた死者がさらに反逆するというのが、この映画の図式だ。
ロックンロールな言い方をするなら、暴動の映画 だといえるだろう。
ちなみに映画の暴動は『爆裂都市』であるが、って関係ないですね。
ただ、そういう映画になったおかげで失ったものもある。
ゾンビの怖さだ。
ゾンビがどうして怖いのか、人によって感じ方はいろいろだと思うが、「人格がない」という点は大きいんじゃないだろうか。
人の形をしているが、意思のないものが、自分を食べるためにじりじり近付いてくるのだ。怖がらないほうがどうかしている。
今回ゾンビは、反逆のために知恵や人格、怒りという感情を持ってしまったが、それがかえってゾンビ特有の恐ろしさを消してしまったといえる。
ゾンビの姿をしているが、ゾンビでないものという感じだ。
だからこの映画は、ロメロのゾンビ映画が好きな人であればあるほど、怖さを感じないと思う。
ラストも珍しく希望あふれる終りかただし。
ところで知恵をつけたゾンビたちは、これからどこへ向かっていくんだろうか。
ビッグ・ダディのような知恵のあるゾンビが増え、やがて逆に人を支配していくのかもしれない。
そしてそんな未来の地球に、過去からのロケットが到着し……って、そんなどっかで聞いたような話 にはならないと思うが。
タイトルは『PLANET OF THE DEAD(死者の惑星)』 でどうだ。
もはや恐怖映画でもなんでもないといえる。
<余談>
ロメロもお気に入りだという『ショーン・オブ・ザ・デッド』 の監督、エドガー・ライトと主演のサイモン・ペッグが、そろってゾンビ役でエキストラ出演しているらしい。
クレジットでは「Photo Booth Zombie」となってるんだけど、どこらへんの場面にいるのかさっぱりわからない。
トム・サビーニは顔が目立つ からすぐにわかったんだけどな。
追記@2006年1月29日
今回「進化するゾンビ」像が提示されたわけだが、じつはこの映画では、けっこう重要な問題が棚上げにされている。
ゾンビが知恵をつけ、感情を持った場合、その感情は生前のものと同じなのかどうかという問題だ。
これまでのゾンビの行動は、腐った脳にわずかに残った生前の記憶 によるものだと解釈されてきたし、それが怖さでもあった。
たとえば『ゾンビ』の終盤、ゾンビになったもと仲間が、そのぼんやりした記憶をたよりに、隠れ家への隠し通路を暴き出してしまう場面を思い出してもらいたい。
あれは、意志を持たずに行なう行動だったからこそ怖かったんだと思う。
それに対して『死霊のえじき』(DAY OF THE DEAD)に登場したバブは、学習するゾンビ であった。拳銃を使いこなし、原始的だが感情もあった彼は、『ランド』でのビッグ・ダディとほぼ同じ存在だったといえるだろう。
次回作があるのなら、ゾンビはさらにワンステップ進化を見せてくれるんじゃないかと思うが、さてここで棚上げされていた例の問題だ。
死んだ人間がゾンビになって蘇り、それが感情や意志を持った場合、それはもとの人間と同じものなのか。
同じ人格(魂といってもいいが)だと考えるなら、それは
「魂は永遠に死ななくなる」
ということだし、違う人格なのであれば
「魂は滅び、死体が新しい生命体になる」
ということだ。
どちらと捉えるかによって、物語の質も内容も大きく変わってくるはずだが、ロメロがどう考えているのか、その手がかりは今のところない。
なぜなら、たぶん故意にだと思うが、バブにしろビッグ・ダディにしろ、生前の姿はまったく描かれていないからだ。
こうなったらロメロにはぜひ続編を作ってもらって、人類とゾンビがどのような道を進んでいくのかを、我々に見せつけてもらいたい。
]]>そして日々は。 http://cat-punch.jugem.jp/?eid=112 2005-12-31T19:51:18+09:00 2005-12-31T11:00:10Z 2005-12-31T10:51:18Z 今日も明日もあさっても、普通に働いてます。
だもんで、年末も正月も、さかのぼればクリスマスもあまり実感がなかったりするわけですが、まあ人生のうち、そういう年が1回ぐらいあってもいいだろう。
ポジティブ・スィンキングであります。
振り返れば2005年... 猫パンチ 雑談
だもんで、年末も正月も、さかのぼればクリスマスもあまり実感がなかったりするわけですが、まあ人生のうち、そういう年が1回ぐらいあってもいいだろう。
ポジティブ・スィンキング であります。
振り返れば2005年は、いろいろやろうと思いつつも、計画のほとんどが未遂、また一部は忘却。おおむねそういうような惨状でした。
こんなの毎年のことではありますが……と言い訳するのも情けないので、06年はもう、出来そうなことしか決心しない 。
それが前向きなのか後ろ向きなのか難しいところですが、とにかくそういうふうにしようと思った年の瀬でありました。
ただ、出来そうなことしか決心しないかわりに、いろんなことを出来そうにするための努力はしようと思ってます。
文筆。
労働。
貯蓄。
ブログ。
……いま「文筆」のとこが「分泌」 と変換されて、大いに気落ちさせられましたが、ともかく06年。
06年は「力をためる年」にしようかなと、そんなふうに漠然と考えてます。
年があけたら、漠然と忘れているかもしれないにしても。
「そして、よいお年を。」
]]> 編集スキスキスー◇自家製ニューバージョン。 http://cat-punch.jugem.jp/?eid=111 2005-12-24T21:42:08+09:00 2005-12-26T14:38:59Z 2005-12-24T12:42:08Z ♪恋人がサンタクロース
あの顔でサンタクロース
いささか歌詞が間違っている気もしますが、皆様メリークリスマス。
といっても今回のエントリーは、聖夜とはまるで関係ない内容ですが。
高校時代、ぼくの宝物のひとつは、ダブルデッキのラジカセだった。
で、... 猫パンチ 雑談(成人向け) ♪恋人がサンタクロース
あの顔でサンタクロース
いささか歌詞が間違っている気もしますが、皆様メリークリスマス。
といっても今回のエントリーは、聖夜とはまるで関係ない内容ですが。
高校時代、ぼくの宝物のひとつは、ダブルデッキのラジカセだった。
で、それを使って、よくテープ編集などして遊んでいた。
ぼくは今でもマイベスト的な、テーマ別アルバムを編集するのが好きなんだけど、その趣味はこの頃からすでにあったわけだ。
いろんな特撮番組のサントラから、悪の組織のテーマ だけ選り抜いて集めたテープというのも作った覚えがある。
作ったはいいが、どんなときにかければいいのかわからず、結局あまり聴かなかったが。
ところでダブルデッキのラジカセというのは、AデッキからBデッキへの録音が出来る仕様になっているわけだが、そんなふうに日々デッキをいじくっているうちに、ぼくは新しい遊び方に目覚めてしまった。
曲自体の編集だ。
といっても「リミックス」と横文字で言えるほどかっこいいものではなく、タイミングを計りながら一時停止ボタンを駆使し、1番と2番の歌詞を入れ替えて みたりとか、違う曲どうしをムリヤリ合体 させてみたりとか、そういうバカ方面 の編集だったが。
いちばん簡単なのは、たとえば「ドラえもんのうた」の最後、
「アンアンアン とってもだいすき」
で録音を一時停止。そのあとに、別の曲のフレーズを挿入 するというパターンだ。
「とってもだいすき ゲッターロボ」でも
「とってもだいすき 男のシンボル」でも、こう文字で書くと何ということはないが、編集バージョンだと知らせずに聴かせると、聴いた人はけっこう驚く。
では次に、「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌を下品な歌に変えてみよう。
いつのまにか実践講座になっているが。
まず、もとの歌から不要な部分を削って短くする。
これは一時停止ボタンを上手く押せばいいだけだから、コツをつかめば簡単だ。
この作業で、原曲を以下のようにまで縮める。
原曲の歌詞は「うたまっぷ 」あたりで検索してください。
ゲッゲッゲゲゲのゲ 朝は寝床でグーグーグー
楽しいな 楽しいな 試験も何にもない
ゲッゲッゲゲゲのゲ みんなで歌おう ゲゲゲのゲ
ゲッゲッゲゲゲのゲ 昼はのんびりお散歩だ
楽しいな 楽しいな 仕事も何にもない
ゲッゲッゲゲゲのゲ みんなで歌おう ゲゲゲのゲ
ゲッゲッゲゲゲのゲ 夜は墓場で運動会
楽しいな 楽しいな 病気も何にもない
ゲッゲッゲゲゲのゲ みんなで歌おう ゲゲゲのゲ
次に、1番2番3番の歌詞の2行目後半(黄色い字 の部分)を、すべて3番の
「病気も何にもない」
と入れ替える。
Aデッキのテープを巻き戻したり早送りしたりしながら頑張ろう。
そしてここで、別の曲をもう1曲用意する。
爆風スランプ「無理だ!」という曲だ。
使うのはこの曲のたったワンフレーズのみ、
セックス!セックス!
無理だ人魚のセックス!
という部分の、赤字 の箇所だけだ。
もうだいたい目論見がわかったと思うが、この部分を、鬼太郎の赤字 部分と入れ替えるのだ。
出来上がった曲のリズムは多少おかしくなるが、やってみるということが大事 なので、クオリティはひとまず措く。
そうして出来上がった曲は、以下のようなものになる。
ゲッゲッゲゲゲのゲ 朝は寝床でセックス!セックス!
楽しいな 楽しいな 病気も何にもない
ゲッゲッゲゲゲのゲ みんなでセックス!ゲゲゲのゲ
ゲッゲッゲゲゲのゲ 昼はのんびりセックス!セックス!
楽しいな 楽しいな 病気も何にもない
ゲッゲッゲゲゲのゲ みんなでセックス!ゲゲゲのゲ
ゲッゲッゲゲゲのゲ 夜は墓場でセックス!セックス!
楽しいな 楽しいな 病気も何にもない
ゲッゲッゲゲゲのゲ みんなでセックス!ゲゲゲのゲ
四六時中やってる歌の出来上がり……って、こんなものを作るのに2時間近くもかかる んだから本当にばかげているが、当時のぼくは本当にとりつかれたように、こんなことばっかりしていた。
頭がおかしかったのかもしれない。
そしてなお悪いことに、いまだにこういうことは大好き なのだ。
ただ、ぼくの手元にはもうダブルデッキのラジカセがないから、やりたくてもできないだけだ。
で、ここからが本題なのだが。
MP3でこういう遊びができるフリーウェアってないですかね?
]]>ヘルブレイン 血塗られた頭脳◇こんど電話くれ。 http://cat-punch.jugem.jp/?eid=110 2005-11-14T02:29:29+09:00 2005-11-28T09:01:31Z 2005-11-13T17:29:29Z
ヘルブレイン 血塗られた頭脳
<1989年/アメリカ/90分>
原題:
SILENT NIGHT, DEADLY NIGHT 3
SILENT NIGHT, DEADLY NIGHT III: BETTER WATCH OUT!
監督: モンテ・ヘルマン Monte Hellman
製作: アーサー・H・ゴーソン Arthur H. Gorson
製作... 猫パンチ 映画 ハ行
ヘルブレイン 血塗られた頭脳
<1989年/アメリカ/90分>
原題:
SILENT NIGHT, DEADLY NIGHT 3
SILENT NIGHT, DEADLY NIGHT III: BETTER WATCH OUT!
監督: モンテ・ヘルマン Monte Hellman
製作: アーサー・H・ゴーソン Arthur H. Gorson
製作総指揮: リチャード・N・グラッドスタイン Richard N. Gladstein
ロンナ・B・ウォーレス Ronna B. Wallace
脚本: カルロス・ラズロ Carlos Lazlo
スティーヴン・ゲイドス Steven Gaydos
撮影: ジョゼッペ・M・シヴィット
音楽: スティーヴン・ソルズ Steven Soles
出演:
サマンサ・スカリー(ローラ)
ビル・モズレイ(リッキー・コールドウェル)
リチャード・C・アダムス(サンタ)
リチャード・ベイマー(ニューバリー医師)
メリッサ・ヘルマン(ニューバリー医師のアシスタント)
イザベル・クーレイ(病院事務員)
エリック・ダ・レー(クリス)
レオナード・マン
ローラ・ヘリング(ジェリー)
カルロス・パロミノ(トラック運転手)
エリザベス・ホフマン(グラニー)
マルク・ディートリッヒ(ガソリンスタンド従業員)
ジム・ラッド(ニュースキャスター)
ロバート・カルプ(コネリー少佐)
ビデオのジャケットには
ジェイソン「13日の金曜日」、フレディ「エルム街の悪夢」に続く
スプラッター・ホラー界にニューキャラクター登場!
と謳われているが、登場時にそういうことを言われて定着したキャラクターのいたためしがないというのは皆さんご存知の通り。
邦題を見る限りでは全く気付かないが、原題を見ると、どうやら『悪魔のサンタクロース/惨殺の斧』のパート3らしい。パート1も2も観ていないから、内容的につながっているのかどうかはわからないが、とりあえずぼくは問題なかった。
が、前作とのつながりに関しては問題ないものの、内容のほうはサプライズの連発。あ、いや、数的には連発というほどじゃないんだけど、1発1発が重い ので、ついそういうふうに感じてしまう。
6年間にわたって昏睡状態のリッキーという殺人鬼がいて、彼の意識状態を探ろうと、超科学系の医者・ニューバリーはある実験を試みる。それは、超能力を持つ盲目の少女 ローラを催眠にかけ、彼女の夢とリッキーの夢をリンクさせるというものだった。
その夢リンクがきっかけとなって、クリスマスの夜にリッキーは意識を取り戻す。リンク相手であるローラを求め、殺人を繰り返しながら彼女のあとを追うリッキー。
何も知らず里帰りしている彼女のもとに、殺人鬼が徐々に近付いていく……
というのが主なストーリーで、こうして見るとなかなかサスペンスフルな物語にも思える。盲目の女性を追う殺人鬼っていう設定も、その過剰なハンデが非常なスリルを予感させてくれるし。
ところがここに、それら全ての期待を、一瞬のうちに粉々に破壊してしまう要素 が存在するとしたらどうだろう。
どうだろうというか、残念ながら実際に存在するわけだが。
その要素とは、
殺人鬼のルックスそのもの であった。
言葉を費やすよりも、現物を見ていただくのがいちばんだろう。
ではどうぞ。
バオーン。
どうだろうか。
真っ先に思い出すのはハカイダー であるが、まさに『ヘルブレイン』、地獄脳 の名に恥じないルックスではある。
ちなみに彼のフェイバリット凶器はメス。
見た目に反して武器は地味であった。
元祖・脳みそむき出し男。
リッキーがどうしてこういう姿になってしまったかというと、彼は6年前にサンタの格好で殺人を犯そうとしたところを刑事に撃たれ、脳を吹っ飛ばされてしまった のである。
普通そんなことをされたらゾンビでも死ぬが、どっこいリッキーは生きていた。
冒頭でリンク実験も行なっていたニューバリー医師は、よせばいいのにその脳を、どうやったのかは謎 だがともかく復元。砕けてしまった頭蓋骨の替わりにガラスケースをかぶせておいたため、このようなインパクト絶大なルックスになってしまったというわけだ。
それにしてもネジ留めはないんじゃないかと思うが。
目覚めた彼は病院を抜け出して、祖母の家に里帰りしたローラを直感的に追いかけるのだが、その際の手段はヒッチハイク 。
ちなみに服装は、患者服というのだろうか、下の写真のような白いうわっぱりだったのだが、こんな服装も中身もひと目でわかるほど異常な人が、親指立ててフラフラ歩いてるんだから、到底うまくいくとは思えない。
目立つどころの騒ぎではない。
……と思ったら、
「メリークリスマス!」
気にも留めずに停まってあげる車があるんだから、さすがは自由の国アメリカといえる。クリスマスって何でもありなのか、向こうでは。
リッキーも恩に感じたのか、おとなしく助手席に乗って、運転手のおっちゃんの話に耳を傾ける。
ところが運ちゃんが
「クリスマスには毎年コレ着せられて参るんだよ〜」
と真赤なセーター を見せると、なぜかリッキーの態度は豹変。
運ちゃんを惨殺し、車だけいただいてローラ追跡を続行するのだった。
じつはリッキーは、赤い色を見ると殺人衝動 が湧き上がる体質だったらしく……ってマンガの牛じゃないんだから。
そんなことで殺されてしまう運ちゃんが哀れでならないが、なにせクリスマス、赤い服はそこいらじゅうに溢れているのである。
結局、同じ理由で他にも2名ほど血祭りに上げられてしまったのであった。
いっぽう、ローラのほうも、リンク中の夢で見た脳みそむき出し男 が、自分を追ってくる気配に気付き始めていた。
この後はよくある展開なので、一部はしょって紹介すると、ローラの実家に侵入したリッキーは、ローラの祖母と兄とその彼女を殺害。さらに、リッキーを保護しようと追ってきたニューバリー医師までもが倒されてしまう。
なおこのニューバリー医師、人をからかうのが趣味 の(としか見えない)老刑事と一緒にリッキーを追跡するんだけど、その刑事との最期のやり取りも、相当狂ったことになっている。
リッキーにやられて虫の息のニューバリー医師を発見し、「いわんこっちゃない」という表情で歩み寄る老刑事。
しっかりしろとでも言うのかと思ったら、涼しい顔で発した言葉がなんと
「こんど電話くれ」
これにはさすがにニューバリー医師も
「バカなことを言うもんじゃない」
と苦しい息の下でツッコミを入れるが、そのまま絶命 。
ツッコミが最期の言葉になってしまったわけで、浮かばれないこと確実な死に際といえる。
さて、逃げまどううちに次々仲間を殺され、ついに一人きりになってしまったローラに近寄る殺人鬼。
「ろぉ〜らぁ〜……」
その声に振り向き、なぜか自分から近寄る盲目の少女。
顔を確かめるためか、リッキーの顔面をなでると、彼はうっとり として……って何しに来たんだ君は。
どうやらこの時点までは、リッキーは彼女にホの字 だったようだ。
ローラはローラで、顔を撫でていた手が頭部に触れると、その時点でようやく誰かわかったらしく、悲鳴を上げて逃げ去ってしまう。
鈍すぎ といえる。
ホレた女に悲鳴をあげて逃げられたことにキレたリッキーによって、結局ふたたび追い詰められたローラ。
そんな彼女のピンチに、なんと殺された祖母の霊 が語りかけてきた。
「あなたのもつ力、超能力を使うのよ。
レンズで光を集めるように、力を集中して……
そうすれば、あなたは負けないわ」
そんなありがたいアドバイスをもらいながら、結局超能力は使わなかったりする あたりが、この映画のすごいところ。
おばあちゃんも草葉の陰で泣いているかも知れない。
ではどうやって立ち向かったのか。
じつは生きていた兄 と協力して、みごとリッキーを返り討ちにしたのであった。
あんまりめでたくもないが、めでたしめでたし。
……かと思いきや、本作最大のサプライズは、この直後に待ち構えていた。
こういう映画ではいつものことだが、全て解決した後に警察が大挙して到着。
保護したローラをパトカーに乗せた刑事は、彼女にこう語りかける。
「今回の事件は、わからないことだらけだよ……」
もっともな意見である。
すると彼女はなぜか微笑を浮かべ、
「メリー・クリスマス」
と意味のわからない返事を。
狼狽する観客を尻目に画面はフェードアウト、このまま終劇かよと思ったのも束の間。
おもむろに、暗闇にタキシード姿 のリッキー(もちろん脳みそむき出し)が浮かび上がり、
「そして、よいお年を」
驚くべき締めの一言を発したのだった。
映画はそのまま無責任にもエンドロールに突入、フォローも何もないまま終わってしまうのだが、殺人鬼に「よいお年を」と言われたこっちはどうすればいいのだ。
「正装の殺人鬼が年末のご挨拶」
という前代未聞の終わり方をするこの作品。
たしかに「ニューキャラクター登場!」だったといえるが、やり逃げにも程があるんじゃないか。
]]>成果報告◇ねずみの国からこんにちわ。 http://cat-punch.jugem.jp/?eid=109 2005-11-09T20:45:12+09:00 2005-11-10T11:19:28Z 2005-11-09T11:45:12Z 月曜日に、舞浜ねずみの国に行ってきた。
着いてみると、ジャンボ・クリスマスパレードというのをやっていた。
ジャンボというぐらいだから、みんなで
「おー!」
と叫ぶパレードかと思うかもしれないが、そうではない。って何人に通じるかわからない話をしてい... 猫パンチ 雑談 舞浜ねずみの国 に行ってきた。
着いてみると、ジャンボ・クリスマスパレードというのをやっていた。
ジャンボというぐらいだから、みんなで
「おー!」
と叫ぶパレードかと思うかもしれないが、そうではない。って何人に通じるかわからない話をしているが。
これは公式サイト によると
夢も魔法も楽しさも今までにないジャンボなパレード。ビックリするほどジャンボになったミッキーやディズニーの仲間たちが、クリスマスプレゼントやおもちゃやお菓子、クリスマスツリーなどのフロートを連れて、次々とやってきます。
ということなんだそうだが、事前の情報をまるで入れていなかったので、いきなりやってきたそれを見て、本当にびっくりした。
なにしろあの有名なねずみ がこの大きさである。
ゴゴゴゴゴゴ。
手前のほうに人の頭があるのがお判りいただけるだろうか。
「ワンダと巨像」を遊んだ人だったら、よじ登って急所を探したくなるぐらいの大きさだといえる。
有名なねずみだけかと思ったら、違うねずみまで巨大化していた。
これが迫ってくる恐ろしさったらなかった。ジャンボにも限度があるだろう。
たぶん鉄人28号とか、このぐらいの大きさなんじゃないかと思う。
パレードと銘打っているにもかかわらず、楽しさよりも威圧感 を感じてしまいそうな催しであった。
ところで園内某所にて、有名なねずみのツレがセミヌード になっているのを発見。
公式の画像(ステンドグラスだが)では最大級の露出度だと思い、記念に写真に収めてみた。
シースルーのセクシーショット。
いかがでしょうか。
写真がヘタクソでわかりにくいけれども、ヴェールの向こうには、手袋と靴以外は一糸まとわぬ彼女の姿が。
いかがでしょうかととお伺いをたてるほどのこともないわけだが、ぼく的には、こうなっていたのかという感慨があった反面、なんかオバQの中身 を見てしまったような気にもなった。
いないと思うが、万一この画像で興奮 した人がいたらこっそり教えていただきたい。
関連エントリー:
「ねずみとねことペットの話。」 (2004.09.11)
]]>ユニバG物語◇俺様のジャングル大冒険。 http://cat-punch.jugem.jp/?eid=108 2005-11-04T23:02:53+09:00 2005-11-04T14:23:39Z 2005-11-04T14:02:53Z
ユニバG物語
<2002年ごろ?/日本 ジー、ユニバーサル/33分>
「わたしが、あじあを、すくう」
ビデオを挿入するなりスピーカーから聞こえてくる、このボクトツな第一声。
薬餌飲料「ユニバG」の販売や、のちに会員から資金をだまし取ったとして訴えられ... 猫パンチ 映画 ヤ行
ユニバG物語
<2002年ごろ?/日本 ジー、ユニバーサル/33分>
「わたしが、あじあを、すくう」
ビデオを挿入するなりスピーカーから聞こえてくる、このボクトツな第一声。
薬餌飲料「ユニバG」の販売や、のちに会員から資金をだまし取ったとして訴えられたことで有名な「ジー・オーグループ」名誉会長・大神源太その人の声である。
だまし取った金で何をしたかというと、フィリピンの銀行を買い取って「大神銀行 (バンク・オブ・オオガミ)」と改名させたり、自分が主演の映画『ブレード・オブ・ザ・サン』を制作したりといった按配で、なんとも香ばしい人物だといえる。
会社の名前も自分のイニシャルだし、俺様度全開。
ちなみに映画『ブレード・オブ・ザ・サン』制作のおりに、自社会報に載っけたプロフィールはこうだ。
救世事業と国際貢献、世界統一を掲げるジー・オーグループ創業者。
その顔とは別に、柳生新陰流、大東流気合柔術、竹内流柔術、琉球古武術
一刀流剣術、天神真楊流柔術などを極める達人としてもう一つの顔をもつ。
救世の精神、人間本来の生き方を世界的スケールで唱え続け、日本はもとよりアジア、世界の隅々までその裾野を広げている。現在、精神主義を礎とした人生哲理と企業理念で世界をリード。カリスマ的存在からその名を馳せている。
この映画は大神会長を側面から後押しするファン、その願いに応えようとする 会長の思いが見事に重なり実現したものだ。早くも次回作が待たれ、実業界、映画界の関心が大神会長の一挙手一投足に集まっている。
世界の悪にたった一人で立ち向かい、哲理とする大儀をどこまでも貫く壮絶なシーンは、幼少の頃から磨き上げてきた古武術、柔術、日本拳法、少林寺拳法などがすべてのベースだ。あらゆる格闘技指導とその秘儀を一部の者に限って伝承している現役武道家。
ハリウッドスターのジャン・クロードヴァンダムとは個人的に親しく、「大神兄貴」 と呼ばれている。
プリンセス・テンコーといい大神源太といい、こういう流れ でばかり登場するハリウッドスターってのもどんなもんだろうか、ヴァンダム。
次は叶姉妹絡みとかかも知れない。
他にも触れたい部分はあるが、それは皆さんも心の中で突っ込んでいるだろうから、あえて放置して先に進む。
この『ユニバG物語』は、薬餌飲料「ユニバG」の原料であるバナバ葉。それを発見するまでの、大神源太の苦心の数々を描いたドキュメンタリー風……というか、やりすぎてコントか罰ゲーム のようになってしまっているが、とにかくそういう物語である。
「うぱー!」
冒頭の第一声は、テロップとともに流れる大神源太の決意表明文の朗読だったわけだが、授業で書かされた作文 みたいなテイストが味わい深いので、テロップから原文のまま全文掲載してみよう。
なお、改行や誤字もそのままである。
私がアジアを救う
私は、
国際貢献の一貫として、
貧困にあえぐ、
東南アジアの一角、
フィリピン共和国の
名も無き人々に
仕事を与えるため、
幻の天然バナバを
追い求め、
四年間の歳月をかけ、
前人未到の密林を
切り開き、
遂に、
薬餌飲料「ユニバG」を
誕生させた。
日本国は、
糖尿病、
高血圧症ならびに
肥満に苦しむ人々を救い、
そして、
フィリピン共和国を
物心両面で救済する。
私はここに誓う。
アジア人民のため、
この身が朽ち果てる迄、
一命を持って、
この身を捧げ尽くす。
私がアジアを
絶対に救う。
これが私の国際貢献だ。
4ねん3くみ おおがみげんた。
全方位的に微妙に恩着せがましい気もするこの作文、本人は気持ちよく朗読しているのだが、いかんせん役者を名乗るには演技力がとてもアレ で、スタッフもこれではいかんと考えたのか、本編にはプロの声優をナレーターに起用している。
それは誰かというと、戦国武将のような名前でおなじみの……おなじみかどうかわからないが、なんと超ベテラン声優・柴田秀勝なのだった。
柴田秀勝といえば、『マジンガーZ』のあしゅら男爵(左半分)や『銀河鉄道999』の機械伯爵、『仮面ライダーストロンガー』のゼネラルシャドウといった、恐ろしさ満点の悪役から、TV番組「旅の香り時の遊び」での優しげなナレーションまでこなす、幅広い演技力を持った人である。
ちなみに出演作品を調べるために公式HP を調べてみたところ、『ゲゲゲの鬼太郎』『ドロロンえん魔くん』ではそれぞれ閻魔大王 を、『旧約聖書物語』『太陽戦隊サンバルカン』ではそれぞれ神 を演じていた。
天国のトップから地獄の偉い人まで。
幅が広いにもほどがあるといえるが、めったなことを書くとバチを当てられそうな気もするので、ひたすら褒め称えるに留めたい。
……脱線したが、そのような本格声優を投入してどうなったかというと、ことわざで言うなら「動物に貴金属」系の結果。つまり、かえって本編の軽さというか薄さが際立つ結果になってしまっているのであった。
えー、ナレーションひとつでここまで話が長くなるとは正直ぼくも驚いたが、さてここからいよいよ本編である。
ヘリによるフィリピンの空撮で幕が開く本作。
バラバラバラバラというプロペラ音に、勇壮なテーマ曲がかぶさり……って、流れ始めたのは「ロッキーのテーマ」の音程を微妙に変えただけ の、ビル・コンティやスタローンには絶対に聴かせられない曲だった。
ラトルズ 的な意味で言えば、面白い曲ではあるんだけども、ふつうは聴いたら腰を抜かすと思う。
…………「G」。
そのヘリに乗っているのは、もちろん我らが大神源太名誉会長だ。
向かった先はフィリピンの高校。
校庭にヘリで乗りつけたミリタリールックの怪人物 のことを、現地の高校生たちが内心どう思っていたのかはわからないが、ともかく彼らに熱烈な歓迎を受ける大神。
絵的には、地元にお金を落とすのと引き換えに接待を受ける政治家みたいな図であるが。
怪人物。
「ユニバG」の原料となる、フィリピンにしか自生していないという幻のバナバ葉を求めてやってきた大神一行は、接待を受け終えると再びヘリでジャングルの奥地へと向かう。
ここからがこの作品の醍醐味というか、おいしいところがいっぱい詰まっている 部分である。
幻の天然バナバを求め、ジャングルの道なき道を、常識はずれの軽装 で進む大神一行。
軽装。
さほど急でもない坂を、さも崖のように命綱をつけて(しかもスローモーションで) 下ったり、幅1メートルもなさそうな溝を派手な音とともに(しかもスローモーションで) 飛び越えたりしながら、一同はもくもくと歩き続ける。
途中、木の枝に絡まるヘビなども現れるが、この部分は別のところから持ってきたフィルムを挿入しているだけ なので安心だ。
ところがそんな画面にかぶさるナレーションは
「毒虫、大蛇、野生動物など、障害の連続」
「この日のために鍛えた体。そして気力」
といった調子で、もはや笑わせようとして作っているとしか思えない 事態になっている。
そんな小学生の大冒険ごっこ みたいなことを重ねつつさらに進むと、林の影から一行の様子をうかがう怪しい人物があらわれる。
何も知らずに進む大神源太たちの前に、突如飛び出す数人の男!
身構える大神源太!
と、大神一行の一人が進み出て、男たちの一人と握手。
じつは仲間だったようです、ってなんだそれは。
派手に飛びのいて構えた手前、大神源太も心なしか恥ずかしそうであった。
「紛らわしいよナ……」
新たに仲間に加わった男たちの案内でキャンプを張った大神一行。
そして翌朝。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ。
何やってるんですか名誉会長。
そこには、朝もやの中、パンツ一丁で無意味なポージングを決める大神源太の姿があった。
ひとしきり筋肉を披露しても彼の暴走は止まらず、そのまま腕立て伏せ、次いでジャングルをランニング、さらに木の枝で懸垂……これらすべてをパンツ一丁姿でおこなっていたんだけども、もしかしたらサービスカット だったのか。
誰に。
朝の単独行動を終え、キャンプに戻ってきた大神源太は、待っていたスタッフにズバリ一言。
「服もってきてくれ」
服の到着を待つ間、別のスタッフがお茶を差し出した。
大神源太は、そのお茶を見てまたも一言。
「ああ、ユニバGか」
いや、そのお茶の原料を探すために、いまここにいるんじゃなかったのか。
そんな根本的な矛盾をものともせず、うまそうにユニバGを飲み干す大神名誉会長。
PRという名のSF が展開されたワンシーンであった。
やがて服をかっこよく装着した大神源太は、一同に向かって棒読みの号令をかける。
「よし、今日こそは絶対に見つけるぞ。レッツゴー! 」
21世紀にもなってレッツゴー というのは大目に見るとして、名誉会長が昨日よりさらに軽装 なのは、誰か注意してあげないといけないんじゃないか。
さらに軽装。
2日目になっても大冒険ごっこのテイストは相変わらずで、岸があるのにわざわざ川の中を歩いたりする大神源太。付き合わされる他の人たちもたいへんだ……と思っていたら、流れに足を取られてヨロける名誉会長。いわんこっちゃない。
「でも、やるんだよ!」
と、そこにすごい勢いで走ってくるワニ が!
しかし、これも昨日のヘビと同じく、まったく別の映像なので安心だ 。
案の定、ワニはそのまま池にぼちゃんと駆け込んでそれっきりであった。
こんな投げっぱなしなサスペンスシーン、めったにお目にかかれないと思われる。
そんなこんなで、ようやく目的地にたどり着く大神たち。
そこへ、またも大嘘を重ねるナレーション。
「ジャングルに入って、すでに2週間…… 」
言いすぎである。
どう見ても1泊しかしてないだろう。
「遂に私たちは、幻のバナバ葉を見つけ出した!」
おめでとう、名誉会長!
と言いたいところだが、その現場ではすでに葉っぱの収穫作業をしている人 がわんさといるのであった。
ロケのときぐらい人払いしてはどうか。
ところでこの作品、最後に「ユニバG」CMのメイキング風景が収められている。
噂のジャン・クロード・ヴァンダムを迎えたその撮影風景にかぶさるナレーションでは、
「私の救世事業に貢献したいという意欲を持つヴァンダムは……」
と、冒頭の全方位的な恩着せがましさ を再び味わうことができる。
すばらしいスーツをまとった名誉会長。
「ユニバG、ヤー!」
と叫ぶヴァンダムの姿も痛々しい完成CMを収録してこの作品は終わるのだが、ここで流れるエンディングテーマは、またしても「アイ・オブ・ザ・タイガー」を微妙にパクったような曲なのだった。
最後の最後まで、抜かりないといえば抜かりない出来 だったといえる。
ところでこの作品。
どうしてぼくの手元にあるのかというと、ゴミとして捨てられていた のを拾ったのだ。
捨てた人の気持ちもわからなくはない。
]]>哀悼・仮面ライダー響鬼◇「大人」が消えて。 http://cat-punch.jugem.jp/?eid=101 2005-10-24T21:55:39+09:00 2005-11-23T11:03:10Z 2005-10-24T12:55:39Z
仮面ライダー響鬼 VOL.1
『仮面ライダー響鬼』は、近年の特撮番組や映画の中でも抜きん出た良作だった。
物語の語り手に16歳の少年を据えたことや、ライダーに変身する人物が30歳という大人であることなどからも推測できるように、この番組の狙いのひとつは... 猫パンチ 雑談
仮面ライダー響鬼 VOL.1
『仮面ライダー響鬼』は、近年の特撮番組や映画の中でも抜きん出た良作だった。
物語の語り手に16歳の少年を据えたことや、ライダーに変身する人物が30歳という大人であることなどからも推測できるように、この番組の狙いのひとつは「少年に対する大人のあり方」というようなところにあったんじゃないかと思う。
少年が憧れるような大人をまず描き、少年に対しては、じゃあそうなるにはどうすればいいのかと問いかける番組であり、また同時に、大人に対しては、少年たちが目指すに足る大人であれというメッセージを発している番組だった。
ヒビキら大人たちの少年に対するスタンスも、立ち入りすぎず突き放さず、その成長を見守るさまが非常にうまい具合に描かれていた。
これは、子供向け番組が長いこと忘れてしまっていた、しかし本当はあたりまえの姿勢でもある。
また、そういったメッセージを、セリフでなく、物語の流れを通して感じさせるように作っていた点も好感が持てた。
ぼくもはじめのうちこそ
「ライダーなのに鬼?」
「うわ、火ィ吹いた!」
「……バイク乗ってないじゃん」
など表面的な部分で大いに戸惑わされたが、回を重ねるにつれ、東映は本気で作っているなと思ったし、子供番組を作る大人としての責任を果たそうとしているなとも感じたものだった。
それは、志と呼んでいいものだったと思う。
ここでちょっと、知らない人のために、内容の説明をしておこう。
なお、登場人物や世界観の詳しい説明については公式HP を見てもらいたい。
仮面ライダーに当たる存在は、劇中では「鬼」と呼ばれている。
べつに改造人間というわけではなく、肉体や精神を鍛えた結果、鬼になる能力を身に付けた存在、という設定らしい。
鬼は全国各地に何人もいて、関東だけでも十何人いるという。タイトルにもなっている「ヒビキ」は、その鬼たちの一人だ。
鬼は「猛士(たけし)」と呼ばれる組織に所属していて、これは人間を襲う妖怪である魔化魍(まかもう)と戦う人たちの集まり。
そのメンバーの多くは、魔化魍の情報収集や鬼の活動のサポートなどを行う普通の人間たちだが、「自分のできる範囲の責任を果たす」という意味で、彼らもまた戦士と呼ぶべき人々だ。
鬼になって戦う男・ヒビキを偶然目撃した明日夢(あすむ)少年は、彼に憧れ、少しずつ猛士に関わっていくようになる……というお話。
謎解きの合間に登場人物がいがみあってるだけって印象があった最近のライダーシリーズに較べると、地味ではあるが、見るべきところの多い良作だった。
ただし第30話あたりまでだが。
この話を境に、プロデューサーや脚本家など、主要スタッフの交代があったという。
交代の理由は知らないが、番組はハッキリとつまらなくなった。
たとえばそれまでは、現場に急行したとしてもそれなりに移動時間がかかっていた鬼たちが、魔化魍出現の連絡を受けた次の瞬間に現場に現れるようになった。
こういったあたりまえのリアリティを捨てたということは、それまでの『響鬼』の柱であった、日常性の描写を放棄したということでもある。
当然、登場人物の実在感は薄まり、戯画的になる。
そんな架空の人に少年は憧れようがない。変身前のキャラクターが会話してればいいってもんじゃないのだ。
いちばん痛いのは、ほとんどのキャラクターの性格や関係性が変わってしまったことだ。
観ている人でないとわからない話をするが、ザンキさんは
「こう見えても俺は、数々の女性を愛してきた男だ。
文字通り、鬼のようにな ……ふっふっ」
というようなセリフを口にする人じゃなかったよ。
変わりすぎといえる。
展開が速くなり、新しい武器や新しい変身も登場し、見せ場は派手になったけれど、そのぶんじっくりとドラマを見せる部分は減った。
要するに「普通の特撮番組」になってしまったということだ。
出現の背景がちゃんとある妖怪のはずだった魔化魍も、最近はただ出てくるだけの怪人になってしまっているし。
仮面ライダーというのは本来そういうものだ、といわれればそれまでなんだけども。
ぼくに限って言えば、『仮面ライダー響鬼』は、かなり毛色の変わった番組として楽しめていた。
鬼のデザインとかストーリー展開をはじめ、ぱっと見のウケのよさ、キャッチーさをわざと排除したかのような地味かつ不親切な作りに、かえって好感が持てたのだ。
新体制になり、そうした「ぼくにとっての魅力」は、そのかなり多くの部分が失われてしまった。
番組を見ていた少年たちにとって(そしてもちろんぼくにとって)、とても残念なことだが、
もう『仮面ライダー響鬼』に大人はいない。
それは当初の志が消え、番組そのものの価値や立ち位置が大きく変わってしまったことを意味する。
余談だが、新体制では「こうしたほうが受けるだろう」と考えてこんなふうに変化させたのかもしれない。
もしそうだとしたら、それは視聴者が馬鹿にされているということなわけだが、しかし作り手にそう考えさせる土台を作った受け手の側にも責任はあるんじゃないだろうか。
受け手の側といっても、この番組に限った話ではなくて、特撮や漫画やアニメやゲームや映画など、さまざまな娯楽メディアの受け手たち、要するにぼくら自身のこれまでの姿勢のことだ。
本来言い訳でしかない「お約束」という言葉を肯定的・好意的に使ったり、萌えに踊らされたりしているようでは、作り手に馬鹿にされても仕方ないといえる。
そういう意味では今回の改変劇は、これまでのそうした受け手の姿勢に対してバチが当たった のだと言えなくもない。
響鬼だけにな……ってそれを言いたかっただけか自分。
なお、スタッフ交代の理由の一つとして
「予算をものすごく食っていたから」
ということが噂としてあるが、新響鬼になってから下條アトムがほとんど出演しなくなったことなど考えると、あながち間違っていないのかもしれないな。あの中ではいちばんギャラ高そうなイメージがあるし。
1話から観続けている関係上、最終回までは付き合うつもりでいるが、この調子が続くのであれば、もはやそこに興奮はないだろう。
残念で仕方がない。
心からお悔やみ申し上げます。
……と、哀悼も終わったことなので、せっかくだから、今後は変な番組として、ぼくなりに楽しんで鑑賞することにしたい。
いや、変な番組だと思って観れば、それなりに楽しめる要素はあるのだ。
現在までのところ、スタッフ交代後の「変」をダントツに引き受けているのは、第30話で明日夢くんのクラスに転入してきた美少年・桐矢京介だ。
このキリヤくん、常に波乱の展開を予感させるような、ものすごく思わせぶりな言動や怪しい振る舞いを見せるんだけども、ふたを開けてみたらどれもこれも
「じつはたいしたことありませんでした」
という結果に終わっているという、いわばスカし芸の達人。
面白いので、これまでに彼がまいた波乱の種と、その拍子抜けな結果(真相)をまとめてみた。
★鬼に変身したヒビキを見て「父さん」と口走ったところで次週に続く
→炎をまとったヒビキを見て、消防士だった父を思い出しただけ。
★明日夢の幼馴染の女の子(ヒロイン)から手紙を受け取り、
「またラブレターだよ」と明日夢に告げる
→彼女は別の女の子からのラブレターを、頼まれて渡しただけ。
★戦うヒビキを眺めながら
「お前はいずれ、俺のものになる」とつぶやいて次週に続く
→単にヒビキに弟子入りしたいという意味だった模様。
★イブキの弟子・あきらの帰宅を、深夜に待ち伏せて次週に続く
→あっさり見つかるや
「やぁ、こんばんわ。桐矢京介だよ」と間の抜けた挨拶。
オロナミンC一気飲み勝負を勝手に挑み、鬼の話を聞きだそうとするも
「ばかみたい」と一蹴される。
……なんかハラハラするのもばからしくなってくるような素晴らしい展開の数々だが、もしかして意図的にやってるのか、このパターン。
<追記@05年10月30日>
ここからは「響鬼」視てなかった人には通じづらい話かと思うけど、視聴者仲間にあてた私信のようなものなので、ご了承ください。
先ほど今週放送の「敗れる音撃」を視たが、完全に別の番組であった。
別番組というか、いや、あれはヒドいな。
惰性で最終回まで付き合うつもりだとは書いたが、それさえも危うくなりそうなほどの不出来であった。
なにが不出来って、新響鬼で変更されたのはキャラクターの性格だけかと思ったら、基本設定とか人間関係もまったく変わってしまっていたのだ。あと魔化魍も、今回はあからさまに「怪人」だったし。
相違点よりも、旧響鬼との共通部分を挙げるほうが難しいようなありさま。もはやそんなの固有名詞ぐらいしかないんじゃないかと思うが。
新スタッフ、もしやそれまでの響鬼を視ずに作ってやしないか。
今日は響鬼関連のブログでは、各所で怒りや呆れが爆発してるんじゃないかと思うが、そういう本格的な感情を共有したい方はこちら、『仮面ライダー響鬼『完全新生』路線 復活運動』 へどうぞ。
怒る気力の残っている人はまだいい、といえなくもない今週の惨状であったが。
ところでこのエントリーを書いてから、旧スタッフの手がけた最後のエピソードである「二十九之巻 輝く少年」を視なおしてみた。
26話ぐらいからのサブタイトルの流れ(「刻まれる日々」→「伝える絆」→「絶えぬ悪意」→「輝く少年」)や、理不尽な目にあった明日夢少年に語りかけるヒビキの言葉が、そのまま今回の交代劇に対する、スタッフからの回答だったように思う。
この話をもって「第一部・完」といっていいと思われるが、そのラストシーンでは、ちょっぴり成長した明日夢少年を眺めながら、ヒビキが
「少年、第一歩だな」
とつぶやいている。
いわば新スタッフにきっちりバトンを手渡したわけだが、新スタッフはそのバトンをどこかにうっちゃって、なおかつコースでないところを走っているという感じだ。
このまま心のこもらない脚本が続いていけば、おそらくものすごくグダグダな最終回を迎えるんじゃないかと思う。いきなり「数年後……」とかいうのもありそうだな。
<追記@11月20日>
新響鬼にはすっかり慣れました。
慣れたというか落ち着いたというか、キャラクター変更も込みで楽しみ始めたという感じ。
このエントリーを書いた当初は、旧響鬼の「大人を見せる」という部分に思い入れが大きかったので、新響鬼になっていきなりの各キャラクターの変貌に狼狽し、また大いにがっかりした気持ちを抱え込んだままだった。
落胆のあまりに勢いで書いた部分も非常にあったわけだが、いま読み返すと、勢いゆえに暴言も多い。
とくに上の追記、「不出来」は「違和感」ぐらいでよかったですな。
他の部分もところどころ言い過ぎていたとは思いますが、たくさんの人の目にも触れているようなので、反省の意味も込めて、あえて削除せずに残しておきます。
あと本文のほうは、時おり改稿してます。
また、30話以降の物語展開について、旧路線から見れば「違和感」ではあるが、新路線による新設定から見れば「忠実」ではあると思う。
続編とかならともかく一つの連続した番組なので、視聴者の心情的にも、そのへんがややこしくなっている原因なんじゃないだろうか。
どっちのテイストが肌に合うかという好みの問題もあるし。
それはともかく、落ち着いたことでもあるので、最終回を待たずに自分なりのまとめをしてみたい。このエントリーだけどんどん長くなっていくけども、そのへんはご勘弁を。
正直なところ、今回の路線変更は、いまだに残念な気持ちはある。
旧響鬼に関して「展開が遅すぎる」「明日夢が成長しなさすぎ」といった意見もあるが、個人的にはあのぐらいゆっくりなほうが自然でいいんじゃないかと思う。
ぼくはあの展開の遅さから、弟子入りしないまま最終回というのもありえるんじゃないか、明日夢が結果的に弟子や鬼にならなくても、それはそれでアリなんじゃないかと思いながら観ていた。
猛士としての生活という選択肢もあるわけだし。
あのペースであのまま進んでいったら、いったいどういう終わり方をしたんだろうかというのは、今でも気になる。
そういう意味では「旧スタッフによる最終回」を観てみたかったが、下記のコメントにも書いた通り、こうなってから新規にそれを作るのはまず無理だろう。
それで思い出した。
余談だが、上でも紹介した『仮面ライダー響鬼『完全新生』路線 復活運動』というブログにTBを送ったところ、いつのまにか「猛士助音士」(運動の賛同者をそう名づけたらしい)というのに参加したことになってて驚いた。
そういう組合に入るつもりは全くなかったので面食らったが、たしかに運動のブログを読むと「賛同者はTBを」みたいなこと書いてますね。
適当に送ったぼくがうかつであった。
ってこの追記、なんだか反省文みたいになっているが。
それはさておき、旧路線での「ぼくにとって魅力だった部分」の多くが新路線になって失われてしまったのは、非常に残念なことだったため、このエントリーのタイトルに「哀悼」の言葉を入れた。
そして新響鬼はコントがかった番組として楽しもうと思っていたのだが、追記で再び感情的になってしまう。
哀悼したものの、未練があったのである。
設定の変化に追いつけなかったのが、その原因だと思われる。
本文でも触れたように、新響鬼になってから、番組のテイストや、キャラクターの性格や関係が変化した。中にはあからさまに精神年齢が下がったキャラクターもいた。
こうした、普段のぼくであれば喜んで食いついていた部分。
そこに違和感や反発のほうを大きく感じたというのは、繰り返しになるが、やはりずいぶん旧響鬼に思い入れがあったんだろうなと思う。
また新響鬼になった際の変わりようも激しかったし。
で、今はどうかというと、上記のような残念は抱えながらも、どうしようもないことなので、比較的落ち着いている。
キャラクターの変化は、たとえば
「新しいトドロキはこういう性格になったのか」
と(戸惑いながらだが)観れるようになった。
気持ち的には、やはり別の番組を観てる感じではあるが。
「設定が変わったんだな、わかった、じゃあこれはこれで」
と割り切れば、楽しめたりもするし。
楽しむといっても
「すごいデザインだな朱鬼」とか
「こわいよママーってキミ」とか、そういう楽しみ方にシフトしているわけだが。
もとに戻ったといえる。 ]]>ワイルド・ゼロ◇魔法の呪文さロッケンロー。 http://cat-punch.jugem.jp/?eid=107 2005-10-13T20:43:43+09:00 2005-10-13T15:31:45Z 2005-10-13T11:43:43Z
ワイルドゼロ
<1999年/ギャガ・コミュニケーションズ/98分>
スタッフ
監督・脚本・プロデューサー: 竹内鉄郎 タケウチテツロウ
製作: スミス
プロデューサー: FURUTA KAICHIRO フルタカイチロウ
脚本: 高木聡 タカギサトシ
撮影: 小林基己 ... 猫パンチ 映画 ワ行
ワイルドゼロ
<1999年/ギャガ・コミュニケーションズ/98分>
スタッフ
監督・脚本・プロデューサー: 竹内鉄郎 タケウチテツロウ
製作: スミス
プロデューサー: FURUTA KAICHIRO フルタカイチロウ
脚本: 高木聡 タカギサトシ
撮影: 小林基己 コバヤシモトキ
編集: KUBOTA TOMOE クボタトモエ
スチール: 鈴木陽子 スズキヨウコ
音響効果: HAYASAKI KOICHI ハヤサキコウイチ
SUZUKI HIROTO スズキヒロト
エグゼクティブプロデューサー: TANAKA KAZUHIKO タナカカズヒロ
チーフプロデューサー: SAKAI YOICHI ササキヨウイチ
TAKEMOTO KATSUAKI タケモトカツアキ
製作担当: 野坂麻子 ノサカマサコ
技術監督: 小林基己 コバヤシモトキ
美術アドヴァイザー: INAMURA AKIHIKO イナムラアキヒコ
スタイリスト: 篠原さおり シノハラサオリ
特殊効果: KOBAYASHI ATSUO コバヤシアツコ
CG: 小林淳夫 コバヤシアツオ
特殊造型: 片岡紀和 カタオカノリカズ
: SHIMIZU SATORU シミズサトル
助監督: 高木聡 タカギサトシ
鷹野原均 タカノハラヒトシ
笹目康一 ササメコウイチ
照明: 鈴木大地 スズキダイチ
闘技監督: 柴原孝典 シバハラタカノリ
キャスト
ギターウルフ:SEIJI
ベースウルフ:BILLY
ドラムウルフ:TORU
遠藤雅 エンドウマサシ:ACE
シティシャイ・クワンチャイル:トビオ
稲宮誠 イナミヤマコト:キャプテン
仲条春香 ナカジョウハルカ:山崎
種子 タネコ:ハナコ
森下能幸 モリシタヨシユキ:トシ
マサオ :マサオ
並樹史朗 ナミキシロウ:近藤
田脇総徳 タワキサトノリ:森
村田暁彦 ムラタアキヒコ:俊夫
榎並あさ子 エナミアサコ:アイドルガール
江川加絵 エガワカエ:羽衣天女
江川加絵 エガワカエ:ジャンキー女
菊池七変化 キクチシチヘンゲ:子分
蹄ギガ テイギガ:子分
瀬名中央紀和 セナチュウオウノリカズ:店員
スージー:鼻血女
宮内靖彦 ミヤウチユスヒコ:一男
西澤忍実 ニシザワシノミ:叫ぶ女
MASA マサ:作業員
野添高彦 ノゾエタカヒコ:作業員
スミス :死体
ハッチャク :赤いミニワンピースゾンビ
池澤春菜 イケザワハルナ:DJ
MURAKAMI AKIHITO ムラカミアキヒト:老人
MUSUMI TAKASHI ムスミタカシ:事務員
ASADA YOKO アサダヨウコ:トビオの声
YANAGA KAZUKO ヤナガカズコ:山崎の声
MISHIMA YUTAKA ミシマユタカ:ラジオのパーソナリティ
TAKASUGI KODAI タカスギコダイ:アナウンサー
内容(Yahoo!ムービー より):
ロックンローラーがゾンビと戦う、バイクにUFOにセクシーありのB級アクション・おバカ・ムービー。監督はウルフルズ、スピッツ等のビデオ・クリップを手がけた竹内鉄郎。あまりの低予算のためタイでのオール・ロケを敢行。超人気バンドにして最強のタフガイ=ギターウルフに憧れる少年エースは、ふと立ち寄ったガソリンスタンドで可憐な少女トビオと出会い再会を誓う。次いで訪れた街はゾンビに占領されていた。エースはトビオが心配になり慌てて引き返すが、絶体絶命のピンチに陥ってしまう。その時、ギターウルフが立ち上がった。
全編タイロケを敢行し、なぜかタイ警察やタイ国軍までが全面協力してくれて完成した映画。
そのおかげで、銃器をぶっ放したり大爆発を起こしたりと、日本映画でありながら、とにかく見た目の派手な作品である。
とあるライブハウスで、そこを取り仕切る変態男「キャプテン」と対立してしまったギターウルフの3人。
ホットパンツがまぶしいキャプテンの勇姿。
偶然その場に居合わせた、彼らに心酔する少年・エースは、キャプテンがギターウルフに銃を向け
「ロッケンロールの時代は終わったんだよ!」
と叫ぶのを聞き、思わずその場に乱入。
「ロッケンロールは終わっちゃいねぇ!
ロッケンロールは不滅なんだよ!」
啖呵もむなしく殴り倒されてしまうが、その隙を突いたギターウルフの反撃で、一同は難を逃れることができた。
ギターウルフは自分とエースの手の甲をナイフで切り、その傷を合わせて契りを交わす。そして
「ヤバいときにはコレ吹きな」
と笛を手渡すのであった……ってマグマ大使か。
そのころ各地にUFOが飛来、同時にゾンビが発生し始めていた。
ギターウルフと別れたエースは、トビオという名のボーイッシュな外国人少女と出会って一目ぼれ。
ボーイッシュなのも道理。
彼女を守って一緒にゾンビから逃げ、イイ雰囲気に持ち込むが、
じつはトビオは男であった。
さすがタイという展開だが、とにかくショックのあまりトビオを放り出し、頭を抱えるエース。
そこにギターウルフの幻が現れ、ズバリ一言。
「愛に国境も男も女も関係ねー!
やーっちまえーーーっ!! 」
がぜん奮起 したエースは、トビオを探しに飛び出すが、待ち構えるゾンビの群れに、たちまち囲まれてしまう。
にっちもさっちもいかなくなったエースは、満を持して笛を吹くのであった。
隣町 のライブハウスで笛の音を聞きつけたギターウルフの3人は、エースのもとへ向かう途中、偶然この街を訪れていた戦争屋の女 がゾンビに襲われているのを発見。気合を込めた無数のギターピック を手裏剣のごとく飛ばし、ゾンビたちをなぎ倒す。
しぴぴぴぴぴ。
このあたりから話の流れが一気にデタラメに なっていくので、まじめに映画を観る人にはオススメできないが、嗜好が小学生レベルの人とかはすごく喜ぶ展開だと思う。それはぼくだが。
さて女から武器を調達したギターウルフは、ようやくエースと合流。
「ロッケンロールを信じろ!」
ロッケンロール魂を注入されたエースは、単身トビオ救出に走る。
いっぽうギターウルフは、冒頭の恨みを忘れられずに追ってきたキャプテンとの対決に挑む。
尻をクイクイ振りながらしつこく迫るキャプテンに対し、切れた電線から高圧電流をお見舞いするギターウルフ。
焼け死んだかに見えたキャプテンだったが、逆に電気エネルギーをたくわえ 、目からエレキビームを発射してギターウルフを追い詰める。
「もう、ついてこれるヤツだけついて来い!」
最強かと思われた電気キャプテンだったが、駆けつけたベースウルフ&ドラムウルフの放ったバズーカ砲によって、今度こそ木っ端微塵になってしまった。
もはやゾンビなどどうでもよくなってきた が、そんな空気を察知してか、一同の頭上に巨大なUFOの母船が迫ってきた。
するとギターウルフは、やおらビルの屋上に上り
「ロッケンローーー!!」
叫びとともにギターを握り、そのままスラリと抜き放つ。
彼のギターは、ネックの部分が柄になった、仕込みギター だったのだ!
弦は。
ギターウルフの頭上を通過するところへ刀を突き立てられ、まっぷたつ にされて爆散するUFO母船。
それと同時に、街に溢れるゾンビたちも、ただの死体に戻るのだった。
こんなありさまなので、ふつうのゾンビ映画だと思って観た人は目を丸くすること請け合いだが、血もそれなりに出るし、爆発は派手だし、ロッケンロールだし で、何か呆気に取られるような映画を観たいなという向きには強力にオススメできると言える。
冒頭で「タイ国軍も全面協力」と書いたが、「映画秘宝」vol.13(1999年9月)によると、
「軍人とその家族が号令のもとに召集されてゾンビメイクされて 」
というような協力もあったという。
軍に入ったばっかりに。
火を見るとわけもなく興奮する層 に向けた映画でもあり、劇中ではいろんなものが火を噴いている。
ギターウルフのマイクは彼のシャウトで火を噴き出し、狼バイクもマフラーから炎を上げて走り出す。
コードは。
カウル部分はギターウルフ自作。
終盤では、とりあえず燃やしときゃいいだろうぐらいの勢いで、街のあちこちがメラメラ燃えていたのであった。
上記紹介では端折ったが、ゾンビに襲われるトシ&ハナコというブサイクカップルもいい味を出していた。
「恋人がゾンビになっても愛せるか?」
という案外重そうなテーマを、いかにも取ってつけましたと言わんばかりに、本筋と無関係に 展開。
最終的には2人ともゾンビになり、世界初(たぶん)のゾンビ同士のキスシーンを演じて見せた。
ロマンチックゾンビ。
意味とか内容とかはいいんだよ、ロッケンロールなんだから。
そう考えさせられると言うか、そうとしか考えようのない 1本であった。
ニクいほどの余裕。
]]>実録・貧乏暇なし◇ただの近況報告。 http://cat-punch.jugem.jp/?eid=106 2005-10-01T18:24:05+09:00 2005-10-01T13:12:56Z 2005-10-01T09:24:05Z ちょっと3日連続でエントリーを書いたからといっていい気になっているうちに、もう10月だ。
そういえば書いていなかったような気がするので近況報告をしておくと、新しく派遣のバイトを始めたのである。
コンビニのバイトも相変わらず続けているので、その休みの日... 猫パンチ 雑談 いい気になっているうちに、もう10月だ。
そういえば書いていなかったような気がするので近況報告をしておくと、新しく派遣のバイトを始めたのである。
コンビニのバイトも相変わらず続けているので、その休みの日に派遣の仕事を入れている。
それが結果的にどういう事態を招いているかというと、具体的には、9月の休みはトータル3日間 であった。
ライターのほうの仕事は少ないし、コンビニは時給安いし……ということで、貧乏に半ば逆ギレ してこういう働き方をはじめたのだが、派遣であっちゃこっちゃ行くのがちょうどいい気分転換になり、日々意外にいい感じで過ごしていたりする。
ただ、自由時間はなくなるため、映画は観てるんだけど、ここはなかなか更新できない。観てるといっても、なんでかゾンビ映画ばっかり なんだけども。
ゾンビ映画ばっかりのラインナップもどんなものかと思って、違う映画もちょっとは仕入れてはいるんだが……って内輪の事情はどうでもいいですね。
そういう事情なので、この生活に体が慣れるまで、更新が少し(もはや少しではないが)遅くなると思う。題材は用意してあるので、もうしばらくお待ちください。
]]> うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー◇第1回 ゴーストタウン映画祭 その3。 http://cat-punch.jugem.jp/?eid=105 2005-09-16T20:22:55+09:00 2005-09-16T12:04:34Z 2005-09-16T11:22:55Z
もしも世界が滅びたら、あんなこともできる、こんなこともできる……
そんな妄想にどっぷり浸ったことのある人のための、ゴーストタウン映画祭。
3本目にして、第1回映画祭のトリを飾るのは、1984年のアニメ映画だ。
うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー
... 猫パンチ 映画 ア行
もしも世界が滅びたら、あんなこともできる、こんなこともできる……
そんな妄想にどっぷり浸ったことのある人のための、ゴーストタウン映画祭。
3本目にして、第1回映画祭のトリを飾るのは、1984年のアニメ映画だ。
うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー
<1984年/東宝・キティフィルム/98分>
スタッフ
監督: 押井守 オシイマモル
演出: 西村純二 ニシムラジュンジ
製作: 多賀英典 タガヒデノリ
原作: 高橋留美子 タカハシルミコ
脚本: 押井守 オシイマモル
企画: 落合茂一 オチアイシゲカズ
作画監督: やまざきかずお
森山ゆうじ モリヤマユウジ
撮影: 若菜章夫 ワカナアキオ
音楽: 星勝 ホシカツ
音楽監督: 早川裕
主題曲: 松谷裕子
美術: 小林七郎 コバヤシシチロウ
録音: 斯波重治 シバシゲハル
スクリプター: 久保真
スタジオぴえろ
キャスト(役名):
平野文 ヒラノフミ (ラム)
古川登志夫 フルカワトシオ (諸星あたる)
神谷明 カミヤアキラ (面堂終太郎)
島津冴子 シマヅサエコ (しのぶ)
鷲尾真知子 ワシオマチコ (サクラ)
千葉繁 チバシゲル (メガネ)
村山明 ムラヤマアキラ (パーマ)
野村信次 ノムラシンジ (カクガリ)
二又一成 フタマタイッセイ (チビ)
田中真弓 タナカマユミ (竜之介)
安西正弘 アンザイマサヒロ (竜之介の父)
池水通洋 イケミズミチヒロ (温泉マーク先生)
西村知道 ニシムラトモミチ (校長)
永井一郎 ナガイイチロウ (錯乱坊(チェリー))
杉山佳寿子 スギヤマカズコ (テン)
緒方賢一 オガタケンイチ (あたるの父)
佐久間なつみ サクマナツミ (あたるの母)
藤岡琢也 フジオカタクヤ (夢邪鬼)
ストーリー(Yahoo!ムービーより):
キュートな異星人・ラムと、超女好き高校生あたるが連日のように巻き込まれる、突拍子もない超常現象や奇妙な事件を描く、ハイパーテンションSFラブ・コメディの劇場用作品、第2弾。脚本・監督を、「攻殻機動隊」の押井守が務めた。本作品の特異な世界観やストーリーは、現在の押井守の世界の原形とも言われている。あたるの通う友引高校は、本番を明日にひかえて文化祭の準備に大わらわ。だが……翌日になってもやはりあたるたちは文化祭の準備をしていた。実は友引高校のみんなは同じ日を延々と繰り返していたのだ。事態に気付いた担任の温泉マークと養護教諭・サクラは原因を究明しようとみんなを下校させるが、無事帰り着けたのはあたるとラムだけ。みんなは何度帰ろうとしても、友引高校に戻ってきてしまう。その間にも異変は起こり続け、ついに財閥の御曹司・面堂終太郎が自家用ハリアーを持ち出して空から現状を確認する事態に。すると、なんとそこには友引町を甲羅に乗せて中空をさまよう、巨大な亀の姿が…!!
「うる星やつら」とは何か。
20代以下だと知らない人も多いだろうが、そこから解説していくのもたいへん面倒 なので、作品案内としてはこちら あたりを参照してもらうことにして、いきなり映画の話に入らせていただく。
タイトルの数字を見てわかる通り、本作はアニメ「うる星やつら」劇場版の第2作目なわけだが、それまでのTVシリーズや劇場第1作、原作と較べて、あまりに雰囲気が独特 だったため、公開当時は熱心なファン(特に原作の)から
「これは『うる星やつら』ではない」
とまで言われていたと記憶している。
原作者の高橋留美子もそんなようなことを言っていたらしい。
だからといってつまらない映画かというとそんなことはなくて、ぼくはむしろかなり好きな作品だ。
主人公の諸星あたるたちが通う友引高校では、生徒一同泊まりこみで、にぎやかに学園祭の準備をおこなっていた。
翌日はいよいよ学園祭本番……のはずなのだが、なぜか一夜明けても生徒や教師たちは相変わらず「学園祭前日」を過ごしている。
翌日も、その翌日も。
毎日毎日
「明日は学園祭初日だ」
と言いながら、延々準備ばかりをしているのだ。
連日の泊まりこみによる過労で倒れ、一人帰宅した担任教師の温泉マーク(そういう名前 )は、留守にしていた自宅が廃墟となっていたのを見て、はじめて自分たちの周りに異常事態が起こっていたことに気付く。
温泉マークの相談を受けて、校医で霊能者のサクラが事態解明に動き出した。
生徒を全員下校させたのだが、解散した面々は、どうしても街から出ることができず、再び学校へと戻ってきてしまう。
仕方なく、財閥の御曹司である面堂の自家用ハリアー で空に脱出した一行が見たものは、巨大なカメの背に乗って宇宙を漂う街の姿であった。
映画『ダークシティ』に影響を与えたシーン。
そのときハリアーがガス欠 を起こし、一同は仕方なく町に舞い戻るのだが、この翌日から、世界はがらっと変化してしまう。
お待ちかね、無人の廃墟 になってしまうのだ。
郷愁を誘う終末の景色。
高校の校舎は水没し、ビルは崩れ去り、ハリアーに乗り合わせた一行以外の全ての人が街から消えていた。
しかし不思議なことに、そんな状況でも、一同が生活拠点にした諸星家にだけは、電気やらガスやら新聞やらが滞りなく供給 されていたり、スーパーはなぜか尽きることのない在庫 で生活を支えてくれていたりしていた。
もちろん健在な「(無料で)買い物大会」。
こんな世界にいきなり放り出されたあたるたちはどうしたかというと、ひたすら遊ぶ のである。
校舎跡で泳いだり、映画館でゴジラ(1作目) を上映したり、ひたすら昼寝したり……生活の不安がないうえに、遊び放題ダラけ放題なこの生活、小松左京の「こちらニッポン…」を読んだとき以上にうらやましかったものだ。
ものだというか、いまでも 心底うらやましいと思う自分がいるが。
電化製品使えるのが高ポイント。
しかしこの夢のような世界は、じつはほんとに夢 なのだった。
現実と同じような夢を自在に作れる妖怪・夢邪鬼(むじゃき)が、ぐうぜん出会ったラムの理想を夢にしつらえ、他の一同を巻き込んだものだったのである。
声は藤岡琢也。
夢邪鬼を追い詰め、事件の真相に迫った面堂とサクラであったが、逆に新たな夢の世界に封じ込められてしまう。
残されたあたるは、現実に戻ることができるのか……?
という、前半は押井守が得意とする「夢の中で見る夢、そのまた夢」といった入れ子のような物語展開。後半はグータラパラダイスからクライマックスに至るまで、ボンクラ心を刺激してやまない場面の数々が登場する映画である。
「ゴーストタウンって、いいものですね……」
ゴーストタウン映画としては、やはり後半の楽園生活シーンに尽きる。
夢のように都合のいい世界はやはり夢なのだという夢のない話ではあるが、って自分でなに言ってるのか混乱しそうだが、たとえ夢だとしても。
こういう状況になったら楽しいだろう、ワクワクするだろうという正直な気持ち が、軽快な音楽とともにスクリーンに展開されるのは爽快であり、押井監督ありがとうという気持ちを禁じえない。
そういえば最近昼寝してないな。
現時点で、これがいちばん理想のゴーストタウンといえる。
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