社会の窓からこんにちわ

長文のエントリーが多いので、休み休み読んでいただくのがいいかと思います。
トラックバックやリンクはご自由にどうぞ。
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

【2015.04.27 Monday 】 author : スポンサードリンク | - | - | - |
冬の東京駅◇山田の風景。
寒くなってきたので、今日は心が微妙に温まるかなぁどうかなぁという感じの思い出を書いてみる。


確か去年の冬だったと思うが、そのころぼくは東京駅のすぐ近くで土産物屋のバイトをしていた。

ある日のバイトを終えた帰りがけ、東京駅の改札に向かうと、目の前にやはり改札に向かう一組の母娘が歩いていた。
後姿で見るかぎり、母のほうは50代くらい、娘は二十歳そこそこといった感じだ。
地味な色のコートとマフラーを身に付けた、おとなしめな印象の2人。


全国で普及しているかどうか知らないから念のため説明するが、JR東日本では改札にSuicaという磁気カードを採用している。
プリペイドカードと定期が一体化したような物で、定期入れの中に入れたままでも、自動改札の読み取り装置に乗せれば読み取ってくれるので便利なのだ。
詳しくはこちらを見ていただきたい。
宣伝ではない。
解説が面倒なのだ。


で、母は切符で改札を通ったのだが、娘のほうはそのSuicaで戸惑いもせずピッと通った。
そのあと、娘が母に静かな声で、少し東北訛りで話すのが聞こえてきた。

「慣れたでしょう。
 わたし、東京の人みたいでしょう」



冬の東京駅改札。
なんか山田太一のドラマを見るような風景であった。



<追記@12月10日>
改めてメモを見直してみたら、娘さんの言った言葉の前半が間違っていたので、訂正しておわびをしておく。ごめんなさい。

エントリー当初は「すごいでしょう」と書いてあったが、じっさいは
「慣れたでしょう」であった。

【2004.11.29 Monday 17:55】 author : 猫パンチ | 雑談 | comments(12) | trackbacks(0) |
ちちまわす◇方言紹介。
作業のかたわら、つけっ放しにしてたTVから、ぼくの出身地である大分の方言が聞こえてきたので、何かと思ったらアニメ「あたしンち」だった。
まともに観るのは初めてだったので知らなかったが、主人公の両親が大分出身という設定だったためらしい。


「ちちまわす」という方言の意味がわからないという話だったが、大分人じゃない人がアレ観てもわけがわからなかったかもしれない。

「ちちまわす」とはエッチな意味ではなく、単に「ボコボコにする」というような意味だ。
実際に発音するときは「ちちまぁす」が近い。
不良学生がケンカするときなどに
「ちちまぁすど こんやたぁ!(ボコるぞこの野郎)」
などと使う。
ボコボコというぐらいだから1発ではなく、何発も殴るイメージだ。
子供のころにいたずらをして、小父に
「こらっ!ちちまぁすど!」
と怒られて、ちちまわされてはたまらんと震え上がった思い出があるが。


ということで方言の話。

若い地方出身者は、上京してきたときにまず言葉の壁に直面する。
コンプレックスとか自意識のせいだと思うが、方言で喋ると笑われる気がするので、いっしょうけんめい標準語に慣れようとする。

関東圏の人には意外かもしれないが、方言以上に、標準語を喋るということも、案外に恥ずかしいものである。
何が恥ずかしいといって、「でさぁ」とか「じゃん」とか「〜でね」とかいった語尾。ぼくもいまだにこのへんはあまり口に出せない。


余談だが、津軽に生まれた有名な小説家で、本名を津島修治という人がいる。
はじめは「辻島衆二」というペンネームを使っていたが、自己紹介すると訛りのため「ツヅスマスーズ」と聞こえる。これがイヤで、津軽訛りでもちゃんと発音できるようにと新しいペンネームを考えたという話があるが、これも言葉の壁のせいだと言える。
なお、彼の考えた新しいペンネームというのが「太宰治」
著書『人間失格』で「生まれて、すみません」という恐るべき名言を残した例の彼だ。


余談を重ねると、上京時に立ちはだかるもう一つの壁がバスである。

バス停で待っていると、ヘンな絵が描かれたふざけたバスがやってくる。
驚いたことに前のドアから乗る。
乗車するときに整理券を取らなくていい。
そのかわり乗るときに料金を払う。
お札を投入口に入れると、両替された小銭ではなくおつりが出てくる。

次々と試練に襲われるのである。
これだけでも充分びっくりだが、新宿駅辺りでバスに乗ろうとすると、

バスに乗る人の列と
バスに乗らない人の列がある


という訳のわからない事態まで起こっている。
ただの行列マニアなのかというとそういうことではなく、乗らない人の列というのは「次に来るバスに乗りたいから今のバスはやり過ごす人」たちなのである。

毎年3月4月になると、乗車口でモタモタする学生が出現するのは、これだけ多くの違いがあるからだ。
こうなると別の乗り物と言っていい。


バスはともかく方言の話だ。

そのように恥ずかしい思いをこらえて標準語に慣れていった矢先、新たな試練が発生する。
標準語だと思って放った単語が方言であったと思い知らされる場面である。


大分人は、
「これ、片付けときますね」
と言いたい場面で

「これ、なおしときますね」

と言う。
大分では片付けたり収納したりすることを普通に「なおす」と言うのである。
で、他県の人に
「どこも壊れてないけど…」
と妙にかみあわない反応をされたりするのだ。
たいがいの上京者は、こういうことを重ねて、方言と標準語の区別がついていく。

標準語にも同じ発音の単語があるために、こういうことが起こる。
たとえば大分弁で「せりおとす」というと、オークションとは何も関係なく、
突き落とす」という意味である。
押すことを「せる」と言うのだ。

「超ヤバい」などの「超」に当たる言葉は
しんけん」という。英語にするとVERYだ。
だから、他県の人が聞いたら混乱するような
「しんけんふまじめ」
というような言い草も当然ありえる。


他県の人が混乱するぐらいならいいが、全く意味の推測も許さないような言葉というのも方言には存在する。

大分弁では
1:「よだきい」
2:「ねき」
3:「せがう」
4:「えらしい」
5:「よこう」
6:「めんどしい」
7:「いいちこ」
8:「ちゅうかんはり」
9:「しかぶる」
10:「むげねえ」
11:「がな」
12:「おらぶ」

とか、とりあえず思いついただけでこのくらいあった。
意味はそれぞれ、

1:何もしたくないくらい強力に面倒くさい
2:そば、近所、すぐ近く。
3:幼児や子供を(泣かしそうな勢いで)からかう。
4:かわいい。たぶん「愛らしい」の訛り。
5:休憩する、休む。
6:恥ずかしい。
7:いいですよ。OKですよ。
8:ふざけて調子に乗っている人。
9:おしっこをもらす。
10:かわいそう。
11:〜ぶんの価値。または、安物。
12:叫ぶ。大声を出す。

7の「いいちこ」が大分弁だというのは意外かも知れない。
「ちこ」って何だよ、とか思っていた方もスッキリである。
酒の席などでトリビアに使っていただきたい。


みなさんも「これは他県民にはわかるまい」という方言があったら、ぜひコメントなりトラックバックなりで教えてください。
【2004.11.27 Saturday 14:05】 author : 猫パンチ | 雑談 | comments(12) | trackbacks(0) |
男・大山のぶ代◇もう番組終了してはどうか。
今日いちばんびっくりしたニュース(Sankei Webより)。
「ドラえもん」声優5人、来春にも交代を検討

 テレビ朝日系の人気アニメ「ドラえもん」で四半世紀にわたってドラえもんの声優を務めてきた大山のぶ代さんら主な声の出演者5人が来春、降板し、若手と交代することが21日明らかになった。

 後任の人選が進行中で、交代決定を受け入れた大山さんは「テレビ放送から25年がすぎ、ちょうどよい交代の時期。遠い未来までずっとずっとみんなに愛される『ドラえもん』であってほしい」と話している。

 「ドラえもん」はゴールデンタイムに2けたの視聴率を取る同局の看板アニメ番組。原作者の藤子・F・不二雄氏が「ドラえもんはこういう声だったんですね」と認めるほど、大山さんらははまり役で、人気の原動力になっていた。

 関係者によると、テレビ朝日側は今春からドラえもんの声の大山さん、のび太の声の小原乃梨子さんら出演者と協議。放送25周年で一区切りついたことや高齢化などを理由に、主な声優陣の一新を決めたという。

 放送中のテレビシリーズは来年3月分まで現在の出演者で収録し、4月分から後任の声優陣にバトンタッチする予定。

 テレビアニメ「ドラえもん」は連載漫画を原作に1979年にシリーズ放送が開始。大山さんと小原さんをはじめ、野村道子さん(しずか役)、たてかべ和也さん(ジャイアン役)、肝付兼太さん(スネ夫役)らが第1回放送からこれまで同じ役を担当、80年から「ドラえもん のび太の恐竜」など劇場版映画25作品にも出演した。

ということで、ドラえもんの主要声優陣がごっそり入れ替わるそうだ。

主題歌を渡辺美里が歌い始めたあたりから「あれ?」と思い、東京プリンが歌いはじめるに至ってはイヤな感じまで漂っていた同番組。
主導が製作スタッフなのかテレ朝なのか知らないが、ドラえもんをどういうところに持っていきたいのかわからない最近のリニューアルである。
もしかして「いまふう」にしたかったんだろうか。
自分から価値を落としてどうするのかと思うが。

藤子F先生が亡くなってからは、けっこうあからさまに「いまふう」の匂いが漂ってきていたドラえもん。
最新映画はCMだけ見たが、なんかヒドそうだったので観る気が全くなくなってしまった。ぼくの中ではあのCMをもって、ドラえもんはもう完全に終わってしまっている。

どういうCMだったかというと、のび太が泣きながら誰かの名前(失念)を絶叫という、映画の劇中シーンを使ったものであった。
たぶんそこは映画のクライマックスだ。
叫んで泣いてと、非常にわかりやすい感動シーンである。
わかりやすいが、とてつもなく安い
F先生が作り出してきたものは、そういう安さを排したところにその価値があったんじゃなかったかと思うが。


なんかこういうことを言うと年寄り臭くていやなのだが、近頃漫画にしろアニメにしろドラマにしろ、安いシーンが多い。
山田死亡。
主人公、山田のなきがらを抱えて絶叫。
「やまだぁぁぁーーーー!」
こういう感じの安い演出をギャグでなくやられると、見ていてすごく恥ずかしくなってしまうのだが。

なんでも言葉に出したり感情をあらわにしたりすることで感動を呼べると、製作者は考えているのかもしれない。
それならそれで構わないが、そういうことは自前の作品でやっていただきたい。
ドラえもんまで巻き込むなと切に思う。


と延々書いといてなんだが、こういう毒を吐きたかったわけではなくて、大山のぶ代について触れたかったのである。


大山のぶ代には黒さがある。
しかしそれは、好ましい黒さだ。
安さに流れる風潮に対して快く思わない、気骨ある黒さなのである。


多分ぼくが小学生ごろのことだったと思う。
当時、朝のワイドショーなどは、夏休みになると子供向け企画などをたまに行っていて、声優さん生出演とかアニメ主題歌大会みたいなことをやっていた。
そんな企画の一つで、スタジオに子供たちを招き、大山のぶ代に質問をするという日があったのだ。

大山のぶ代に、といっても、子供たちがのぶ代本人に興味があるわけがないから、番組の意味としてはドラえもん(の声の人)に質問、という趣旨だったはずだ。
「四次元ポケットの中はどうなっているんですか?」
とか
「タケコプターがほしいです」
とか呑気な質問が続く中、いきなりある子供からこんな質問が出た。

「ドラえもんは本当にいるんですか?」

するとのぶ代は、ドラえもんの声で


「いーまーせーんー」


と答えていた。
司会者か誰かがうろたえつつフォローしていたように覚えているが。

いままでこの話をして、ぼく以外にこの件を覚えているという人に出合ったことがないから、もしかしたら偽りの記憶なのかもしれないが、とにかくぼくにとっての大山のぶ代というのはそういう人なのである。


もうひとつ。
数年前にのぶ代がガンを患ったというニュースが流れた。
このときどこかのワイドショーが…といっても多分テレ朝だが、のぶ代に独占インタビューを試みたのだ。
若い女性レポーターが、命の危険も覚悟したという大手術に臨んだときの心境をたずねてこういった。
「やっぱりドラえもんファンの子供たちのためにも頑張らなきゃと、そういうお気持ちはありましたか?」

のぶ代の答えはこうであった。

「それはなかったですね。
 ドラちゃんはほとんど私の分身みたいなキャラクターで、
 一心同体みたいなもんだけど、
 あれはお仕事ですからね

一度聞いただけなので不正確かもしれないが、こういう意味のことを確かに言っていた。
これを聞いてぼくは、ああやっぱりなぁと感心したのだった。

ノブ・オオヤマの勇姿
「ドラえもんは、いません」


その大山のぶ代がドラえもんから手を引くという。
重石の取れたドラえもん、どんどんどんどん安くなっていきそうな気がするのだが。

【2004.11.22 Monday 18:41】 author : 猫パンチ | まんがまつり | comments(8) | trackbacks(2) |

PROFILE
RECENT COMMENT
NEW ENTRIES
CATEGORIES

サーチ:
キーワード:
Amazon.co.jpアソシエイト
Google

RECENT TRACKBACK
ARCHIVES
BlogPeople
 
 





blog seo tool : track word
blog SEO tool
Amazon.co.jp アソシエイト
PAGETOP