サイボーグ009 超銀河伝説
1980年 日本/東映 130分
スタッフ
監督: 明比正行 アケヒマサユキ
製作: 渡邊亮徳 今田智憲
製作総指揮: 石森章太郎 イシモリショウタロウ
プロデューサー: 飯島敬
小湊洋市
原作: 石森章太郎 イシモリショウタロウ
脚本: 中西隆三 ナカニシリュウゾウ
作画監督: 山口泰弘
撮影: 池田重好
細田民男 ホソダタミオ
音楽: すぎやまこういち
美術: 伊藤岩光 イトウイワミツ
スクリプター: ジェフ・シーガル
角田紘一
助監督: 吉沢孝男 ヨシザワタカオ
キャスト(役名)
白石冬美 シライシフユミ (001)
野田圭一 ノダケイイチ (002)
杉山佳寿子 スギヤマカズコ (003)
山田俊司 (004)
田中崇 (005)
はせさん治 ハセサンジ (006)
肝付兼太 キモツキカネタ (007)
曽我部和行 ソガベカズユキ (008)
井上和彦 イノウエカズヒコ (009)
永井一郎 ナガイイチロウ (コズモ博士)
八奈見乗児 ヤナミジョウジ (ギルモア博士)
小原乃梨子 オハラノリコ (サバ)
鈴木弘子 (タマラ)
大平透 オオヒラトオル (ゾア)
ストーリー(キネマ旬報DBより)
国際宇宙研究所所長のコズモ博士は宇宙を生んだ母源といわれる超存在に気づき、それをボルテックスと命名した。ボルテックスをコントロールできれば、地球のエネルギー問題など一挙に解決できる。そして博士はそのコントロール理論を完成しようとしていた。そんなある日、001が敵が襲来するという警告を発した。ギルモア博士は009をはじめ、世界各地で幸福な生活を送っているサイボーグのメンバーを呼び寄せた。やがて、009たちの前に巨大な宇宙船が現れ、その中からヒューマノイドのサバという少年が降りてきた。サイボーグたちは恐るべき敵の存在と、その陰謀を知らされた。サバの住む星コマダーは、ダガス星の大帝王ゾアの宇宙軍団に襲われ、文明はすべて破壊され、サバの父コルビン博士が連れ去られたという。ボルテックスのコントロール理論をコルビン博士が発見したのを、ゾアがかぎつけていたのだ。全宇宙の征服を企むゾアにはボルテックスは欲しくてたまらないものだ。そして、ゾアは地球を次の攻撃目標とした。戦うべき戦闘機をもたない009たちは、サバの船を改造、武装強化する。そのとき、コズモ博士と001が敵に連れ去られた。ブレーン・コンピューターでサイボーグの秘密があばかれてしまうかもしれない。009たちは、すぐに地球を飛び立った。サバの案内で009たちは、宇宙の壮大なトンネル、スター・ゲートをくぐり抜け、四十万光年のかなたの宇宙空間にすべりこんでいった。敵との戦いに傷ついたサイボーグたちの船は、ファンタリオン星に着陸。そこで、この星の美しい女王タマラに出会う009たち。しかし、再び襲来した敵に、この星は無惨に打ち砕かれ、タマラも帰らぬ人となった。なんとか逃れたサイボーグたちは、敵要塞を前方にとらえた。そして、001とコズモ博士を救出するが、コルビン博士は知識をブレーンタップされ殺されてしまっていた。そしてゾアはボルテックスに向っていた。行手をさえぎる敵と戦いながら、ゾアを追う一行。その戦いで004は致命傷を負い、体内の小型原爆で、要塞とともに爆発するのだった。痛恨の想いで004の死を見とどけたサイボーグたちは、ゾアへの憎しみも新たに、追跡を再開する。ボルテックスに接近するゾア。009たちもその後を追う。その時、ゾアを乗せた宇宙船はボルテックスに吸い込まれ、サイボーグたちの前で、大爆発するのだった。
サイボーグ009といえば、石ノ森(当時は「石森」名義)作品の中でも特に女性ファンからの人気が高く、下手なことを書くと怒られてしまいそうな気がするが、このブログで取り上げること自体が
すでに下手なことであるとも言えるので、気にしないでいつもの調子で書く。
009といえば…とはじめに関係ないことを書くけども、永井豪の漫画「まぼろしパンティ」で、サイボーグ009のパロディの
「裁縫部009」という連中が出てきた。
裁縫部だけに、胸のボタンに
針とか糸とか入っていた。
ネーミングに思わず「うまい!」とうなった覚えがある。
以上、余談でした。
<追記@2005.01.09>
コメントのほうでサンタパパさんにもご指摘いただいたが、確認したところやはり裁縫部009が登場したのは『けっこう仮面』のほうであった。お詫びして訂正します。
なお、ボタンの中に針やら糸やらという場面も存在せず、このあたりはぼくの妄想だった模様。かさねがさね失礼しました。
この映画、公開当時ぼくは10歳だったが、劇場で観た。
ケイブンシャの大百科も買ったし、ドラマ編カセットテープも持っていた。
当時としては結構ハマッていたといえるだろう。
にもかかわらず、今回観なおすまで、なぜかストーリーを
きれいさっぱり忘れてしまっていた。
あ、「ドラマ編カセットテープ」というものについて、20代以下の人は知らないかもしれないので説明しておこう。
簡単に言うと、絵のないビデオ。カセットテープにセリフや効果音などの音声トラックだけ吹き込んだものだ。
当時はビデオがまだ一般に普及していなかったので、カセットテープで音声を聞きながら、
頭の中で画像を再生していたのだ。その際、映画の名場面が載った本などを見ながら聴くと、より再生の助けになったものであった。
レコードでも発売していたかもしれないが、ドラマ編に関してはカセットテープのほうがシェアが大きかったように思う。
この映画に限らず、80年代前半の大作アニメ映画のいくつかは、サントラ(「音楽編」とか言われていた)のほかにドラマ編も発売されていた。
その延長で、好きなテレビ番組を録音しておいて、あとで聴いて楽しむなんてこともあった。
どんどん話が脱線しているが、009である。
この当時のサイボーグ009といえば、TVシリーズでも
悩めるヒーロー像を売りにしていたが、スクリーンでもその悩みっぷりは過剰なまでに健在だ。
とくに主人公の009こと島村ジョーに至っては、悩むあまり優柔不断の域にまで達しているほどであり、ある意味お見事。
009だけでなく、サイボーグの生みの親であるギルモア博士もよく悩む。
001が予言した地球の危機に際し、普通の暮らしを営む00ナンバーたちを呼び戻すべきかどうかひとしきり葛藤したりするのだ。
とはいえ、地球全体が危うくなれば普通の暮らしもオジャンになってしまうわけで、ムリヤリ悩んでいる感じがしなくもないが。
もっとも登場人物たちがこんなに悩むのは、戦うための道具に強引に改造されてしまったサイボーグたちの苦悩、というテーマが背景にあるからだ。『仮面ライダー』でもおなじみのテーマですね。
そんなわけだから、出発するにも
「
戦いは好きじゃないが、宇宙のためだ」
みたいなことをいちいち言う。
観ていると多少くどいが、テーマだから仕方ない。
出発が決まってから、海岸で
演歌のようなBGMをバックに浪花節なラブシーンを演じる009と003だったが、そんなことをしている隙に
「ふんぐっはっはっはっは」
と高笑いする悪役に001とコズモ博士をさらわれてしまう。
「ふんぐっはっはっはっはっは」
準備もそこそこに宇宙に飛び立つサイボーグ戦士たち。
宇宙の抜け穴スターゲートをくぐったり敵宇宙船と砲撃戦を演じたりした末、ファンタリオン星という星にたどり着くと、そこは怪獣やら原始人やらが襲ってくる恐竜時代のような惑星であった。
そこで出会った
全身紫色の女・タマラ。
彼女はゾアに滅ぼされたこの星の女王であり、原始人だと思ったのは
落ちぶれたこの星の人々なのだった。
幽閉されていたタマラを助け出す009たちだったが、彼女はこの一件で009に惚れてしまったらしく、彼にファンタリオン星に残ってくれるよう懇願する。
この懇願が
かなり恐ろしいので、セリフを引用してみたい。
このファンタリオン星は、あの通りゾアの手で破壊されてしまったままです。父や母が生きていたときのように文明を復興させるのは、とてもわたくし一人の力では……。
いまこの星には、強い力と強い意志を持った偉大な指導者が必要です。
009、あなたにその指導者…このファンタリオン星の新しい王になってほしいのです。
「タマラ!」(驚く009)
あなたがこのファンタリオン星に残ってくだされば、やがて新しいわたくしたちの命が、素晴らしいわたくしたちの子孫たちが誕生することになるのです。
「ああっ、タ、タマラ」(うろたえる009)
009、私は、私は…(すがりつく)
いかがでしょうか。
惑星の復興を盾にして情に訴えつつ、
出会って数時間にもかかわらず子作りまで視野に入れての説得。
たいがいの男は引くと思われるが、そこは優柔不断が具現化したような009、しっかりタマラを
抱き返すのであった。
来るものは拒まず。
これが出発前に003に
「君のことを誰よりも大事に思っているんだ」
とか甘い言葉で告白した男だろうか。
いや、子作りという言葉に
激しく心動かされたのだとしたら、いちがいには責められん…と思っていたら、その場に003本人がやって来てしまう。
ラブシーンは一瞬にして
イヤーな空気に包まれるのだった。
修羅場。
ところがそこにタイミングよくといおうか悪くといおうか、009一行を追ってきたダガス軍団の戦闘機が来襲。ようやくやる気を取り戻しかけていた民衆もろとも、わずかに残った文明を徹底的に破壊してしまう。
おかげでファンタリオン星は壊滅、巻き添えを食って
タマラも死亡。
結果的に前よりひどいことになってしまったわけで、
009たちさえ来なければ、と思っても後の祭りである。
このあとはだいたい上記のストーリーの通りだが、ラストはちょっと違う。
引用ではゾアが勝手に自爆したようになっているが(
似たようなものだが)、ボルテックスに突入したゾアを追って、009も単身ボルテックスに飛び込むのだ。
00ナンバーたちが宇宙船内でなりゆきを見守るなか、突然009が船内にテレポートしてくる。
「ぼくは、戻ってきた…」
何が起こったのかと混乱する一同
および観客に、事のてんまつを説明する009。
ゾアと009はともにボルテックスに飛び込み、どちらもその力を手に入れた。009はその力でゾアの滅亡を願い、ゾアはゾアで力を取り込みすぎて
勝手に自滅してしまったのだという。
なんというスッキリしない結末であろうか。
これだったらわざわざ宇宙まで出張らなくてもよかったんじゃないか。
それ以前に、敵ボスとの決戦というせっかくのクライマックスを、主人公による
説明で済ませるってのはどういうことだ。
サプライズはまだ続く。
ボルテックスの力で一瞬にして地球に帰還した一行。
体内の
小型原爆を自爆させて散った004の墓前で悲しみに暮れていると、そこに死んだはずの004が現れるのだ。
なぜか。
うすうすおわかりかと思うが、009がボルテックスの中で
「ゾアの滅亡を願い、
同時に004の復活を祈った」
からなのだった…ってここまで便利な使い方をされると、ボルテックスが
神龍に思えてくるが。
ラストシーンで003に
「なぜタマラが生き返ることを願わなかったの?」
と詰め寄られ、
「ぼくにはわからない…ぼくには…」
と
悩み芸で逃げていた009。
たいしたタマだといえる。
003はごまかされていたが、放っておくと
この調子で浮気を繰り返すと見た。
さて初めの方で「なぜかストーリーを覚えていない」と書いたが、その理由は「薄さ」である。
上映時間2時間にわたって冒険が繰り広げられるわけだが、長いわりには目的がいまひとつ弱いのである。
悪の親玉のはずのゾアなど出番は
トータル10分間ぐらいだし、出てきたと思ったら自滅。
外見のインパクトも弱いゾア。
また、全体に敵の出現率もかなり低い。
目的と関係ない戦闘もけっこうあり、おかげでストーリー全体がぼやけてしまっているのだ。
敵の印象が薄いうえにストーリーもぼやけがちとなっては、20年間で記憶がきれいさっぱりなくなってしまうのも無理はないといえる。
ただの痛快サイボーグ活劇にならなかったあたりは009らしいといえばらしいのだが、なんともスッキリ感の不足した映画であった。
逆に、
そこが魅力だという人にはたまらない1本だと思われる。
それにしても130分は長いよ。
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