カブキマン
1989年 アメリカ 105分
原題:Sgt. Kabukiman N.Y.P.D
スタッフ
監督: Lloyd Kaufman ロイド・カウフマン
Michael Herz マイケル・ハーツ
製作: Lloyd Kaufman ロイド・カウフマン
Michael Herz マイケル・ハーツ
製作総指揮: Masaya Nakamura 中村雅哉
Tetsu Fujimura 藤村哲哉
脚本: Lloyd Kaufman ロイド・カウフマン
Andrew Osborne アンドリュー・オズボーン
Geoffrey W. Sass ジェフリー・W・サス
撮影: Bob Williams ボブ・ウィリアムス
音楽: Bob Mithoff ボブ・ミソフ
字幕: 岡田荘平 オカダソウヘイ
キャスト(役名)
Rick Gianasi リック・ジアナシー (Harry_Griswald)
Susan Byun スーザン・バイアン (Lotus)
Bill Weeden ビル・ウィーディン (Reginald_Stuart)
Thomas Crnkovich (Rembrandt)
Noble Lee Lester (Captain_Bender)
ストーリー:
※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください
日本人一家惨殺事件を追うニューヨーク市警の刑事、ハリー・グリスウォルド(リック・ジアナシー)が乗り込んだ先の劇場では今しも日本のアングラ歌舞伎役者、サトウによる芝居が演じられていて、そこで突如始まってしまった銃撃戦に巻き込まれたグリスウォルドは今際のきわのサトウから口移しに不思議な「カブキ・パワー」をさずけられる。残されたサトウの孫娘ロータス(スーザン・バイアン)は、大企業の経営者であり慈善家であるレジナルド・スチュワート(ビル・ウィーディン)に化けた悪霊イーブルワンの復活を防ぐのが彼の使命だと告げる。最初は相手にしなかったグリスウォルドだが、しだいに自分の身体がカブキマンの姿へと変化し、不思議な力を帯びるのを見て、ロータスと共に修行に励み、その力を正義のために使うことを決意する。しかしそんな中、スチュワートは悪霊復活の儀式の生け賛としてロータスを誘拐する。駆けつけたグリスウォルドはついに悪霊としての姿を現わしたスチュワートを前にカブキマンに変身し、イーブルワンを倒してロータスを救出する。
もっと詳しく知りたいあなたに:
キャラクターデザインを手がけた
サトシ・キタハラ氏のHP。
この『カブキマン』、いつか観ようと思っているうちにレンタル店から姿を消してしまったため、ぼくにとって永らく幻の映画になっていた1本だったが、このたび
サンタパパさんからいただいたDVDにてめでたく鑑賞。ありがとうございました。
本作は、どうしてそういうことになったのか、ナムコとトロマとギャガが手を組んで製作された映画だ。江戸木純も絡んでいたらしい。
トロマを相手に選んだ時点で
ちゃんとした映画を作るつもりがないことは明らかなはずなのだが、上記キタハラ氏のHPによると、カブキマンの最初のデザインは
「ふざけすぎている」という理由でリテイクを食らったそうだ。
「ふざけかたが足りない」というなら話はわかるが、こういう映画はふざけすぎるくらいがちょうどよいのである。関係者の中に腹の据わっていない人間がいたらしい。
で、出来上がった映画はどうだったかというと、これが
見事にふざけていたから素晴らしい。さすがトロマといった感じである。
タイトルからしてこうだ。
ニューヨーク市警カブキマン刑事。
け、刑事だったのか。
そういえば確かにジャケットでは警察手帳をかざしているが、あれは冗談でああいう小道具を使っているのだと思っていた。
そうか、刑事か。
と心を落ち着かせてから本編に突入。
……カブキマンは刑事である。
が、いくら自由の国アメリカとはいえ、はじめからああいう風体の男が刑事として大手を振って活躍しているわけではない。
普通の刑事だった男・ハリーが、ある日カブキマンになってしまうのである。
1000年ごとに1度この世に蘇ろうとする魔王。
大企業の社長・レジナルドという表の顔を持つ彼を倒すために、先祖代々
カブキパワーを受け継いできた歌舞伎役者のサトウ一族がいて、ハリーは偶然からその力を受け継いでしまう。
偶然こうなる。
それ以来、犯人を追いながら日本語で
「トンマッレケサッツ、ダ!」(訳:
止まれ警察だ)
と叫んだり、履き物が下駄に変化したりと、徐々に
カブキ化していくハリー。
自らの変化に否定的な彼だったが、同僚の女性刑事がレジナルドの手下に襲われるのを見て、ついにカブキマンに変身する。
「カァブゥキィマーン、サァ〜ン、ジョ!」
見得を切り、裏声で
オペラを唄いながら颯爽と登場するカブキマン。
確かに
結果的に傾いているが、関係ないものまでごっちゃになっている。
襲いかかるチンピラたちを、手から
ハシやらスシやら飛ばしてなぎ倒していくカブキマン。
おかげで女性刑事は守ることができたが、駆けつけた警察にカブキマンの姿のまま身分証明をしてしまったために、ハリーは署内で変人扱いされてしまう。
無理もないといえる。
悲劇はさらに続き、入院していた女性刑事は、レジナルドの部下レンブラントが化けたニセ医者によって暗殺されてしまう。
怒りに燃えたハリーはレンブラントのアジトに赴き、カブキマンに変身!
……したはずだったが、カブキパワーを操る修行が足りなかったため変身に失敗。カブキマンではなく
ピエロになってしまう。
ピエロの姿では当然弱く、逆に追い掛け回されるハリー。
三輪車で逃走するヒーロー。
このスラップスティックな追いかけっこのシーンにはなぜか
ムダに力が入っていて、やたら長いわ小道具使いまくるわカークラッシュはあるわと見応えたっぷり。こっちが本筋であるかのような張り切りようで、嬉しそうな監督の顔がぼんやり浮かんでくるほどである。顔知らないけど。
本作に限らず、アメリカ映画ってピエロを扱うととたんに
理性がなくなりがちになるような気がするのだが、国民感情的になにか強い思い入れがあるんだろうか。
それはともかく、失敗に懲りたハリーは、カブキパワーを我が物にするべく歌舞伎役者サトウの孫娘・ロータスに入門する。
逆立ちしたまま米粒を数えたり、俳句と称した謎の英語ポエムを読んだりといった修行の末、ついにカブキパワーを会得したハリー。
それでもトラックと正面衝突するとこんなことになってしまうわけだが。
トム&ジェリーでおなじみの例のアレ。
新生カブキマンの活躍で町の悪は一掃されたが、魔王は復活の機会を諦めていなかった。
「龍が水晶の輪をくぐり、豹の背中に猿が乗り、虎が美女を食べるときに魔王は復活する」
という、
無理難題とも言える予言を成就させれば、魔王としての真の力が得られるからだ。
龍が水晶の輪をくぐるというのは、千年に一度だけ訪れる惑星の運行のことであった。
豹と猿と虎を
自前で用意したレジナルドは、ロータスをさらってきて虎に食わせようとするが、彼女は駆けつけたハリーに救われる。
それならばと潔く予定を変更し、
自分の秘書を虎に食べさせるレジナルド。
すると、彼の体は見る見る恐ろしい姿に変化していくのだった。
魔王の真の姿。
さっそくカブキマンに変身して立ち向かうハリー。
なんだかちゃんとした映画のような緊迫したシーンである。
魔王のパワーとカブキパワーがぶつかったそのとき大爆発が起こり、魔王は消滅。世界はカブキマンによって救われたのであった。
さて、意外とまともなラストに感心しつつ眺めていたエンドロール。
よく読むと
「PEOPLE WHO DID NOT ACT IN THIS MOVIE」(出演
してなかった人たち)
と称して、トシロー・ミフネやらセッシュー・ハヤカワやら書いてあって笑った。
ちなみにここで流れる主題歌はカブキロックス。
もっともなチョイスである。
随所で出てくるデタラメな日本文化については、確信犯だろうからいちいち言及しないが、そのへんを割り引いてみても、全体的に意外と楽しめる映画である。
サイテー映画とほぼ同義で語られることの多いトロマ映画だが、『悪魔の毒々モンスター』にしろ本作にしろ、
くだらないけれどつまらなくはないのであった。
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