社会の窓からこんにちわ

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【2015.04.27 Monday 】 author : スポンサードリンク | - | - | - |
ショーン・オブ・ザ・デッド◇隠し味は口に苦し。
ショーン・オブ・ザ・デッド
ショーン・オブ・ザ・デッド
2004年/イギリス/100分


監督 エドガー・ライト
製作総指揮 ティム・ビーヴァン 、エリック・フェルナー 、アリソン・オーウェン 、ナターシャ・ワートン 、ジェームズ・ウィルソン[製作]
脚本 サイモン・ペッグ 、エドガー・ライト
音楽 ダン・マッドフォード 、ピート・ウッドヘッド

出演 サイモン・ペッグ 、ケイト・アシュフィールド 、ニック・フロスト 、ディラン・モーラン 、ルーシー・デイヴィス

ストーリー(Yahoo!ムービーより):
ロンドンに暮らすショーンは、いい歳して人生の目標や目的を持たぬまま、仲間たちとパブに入り浸るばかりの冴えない毎日を送っていた。そんな彼に長年の恋人リズもついに愛想を尽かしてしまう。このままではいけないと自覚したショーンは、リズとヨリを戻すため、これまでのだらしない生活を改めようと決意する。ところが、ショーンが恋人のことで頭がいっぱいになっている間に、街にはゾンビが溢れ、生きた人間を次々と襲っていたのだった…。


実年齢30そこそこなのに、40代くらいに見える主人公・ショーン。
友達と言えば、働きもせずにいつも家でゴロゴロとゲームばかりしているエドぐらい。
彼女はいるものの、いつも行く場所は場末のバー「ウィンチェスター」ばかりで、ろくにちゃんとしたデートもしないため、ついに三くだり半を突きつけられてしまう。
自堕落な日常を送り、職場では10も年下の後輩に馬鹿にされ、義父とは反りが合わず……と、人生まったく八方ふさがりなショーン。

何とかしなきゃいかんと思いつつ、でもそれは明日からやろうと、ついつい先送りにしてしまう日々。
ぼくも含めて、ボンクラとかロクデナシとかニートとかダメ人間とか呼ばれる層に属する男なら、身につまされること間違いない主人公の境遇である。


これは、そんな彼が迎えた、人生一発逆転チャンスの物語だ。


本作は、よく「ホラーコメディ」といった紹介の仕方をされることでわかるように、たしかに笑いを誘う場面は多い。
が、物語の根幹は、そのへんのスプラッタに較べて実にまっとうなものだ。
愛する人との別れ、極限状況での人間ドラマなど、押さえるところはしっかり押さえて、しかも笑いも取っている。
好きな人が作ったんだなぁと、観ていてしみじみ思わされた。


いつの間にか町の人々が歩く死人と化していき、そこらじゅうをうろつき始める。あちこちで悲鳴やら血しぶきやら上がっているのだが、周りに無関心なショーンやエドは、はじめまったくその異変に気付かない。
死人にまとわりつかれても「うるさいな」と押しのけて、平気で町を歩いたりしている。
自宅の庭に連中が侵入して、ようやく世界の異常に気がつく2人。
ここからいよいよショーンの人生逆転のシナリオが動き始める。
この危機を乗り越えるため、ショーンとエドの立てた計画はこう。

庭の連中を撃退し、母親を救いだし、(もと)彼女を連れて、バー「ウィンチェスター」で一杯やりながら騒ぎが収まるのを待つ。

完璧な計画だ。
ただし、いかにもボンクラが考えそうな
彼女とよりを戻すため、死に物狂いでミッションをこなしていくショーン。
もともとがダメ人間だし、エドはまったく緊張感がないしで、必ずしも思い描いた白馬の騎士のようではないけれど、間の抜けた姿をさらしながら、しかしショーンは窮地を全力で潜り抜けていく。

ネタバレになるので詳しくは書かないけども、義父や母、友人との最期のやり取りを経て、いつしかショーンは頼もしい男に変わっていた……。


と、キレイに締められればいいのだが、そんなに素直じゃないのはさすがイギリス映画といえる。
ここまで見てきた視点では、笑いと感動の人間ドラマに思える本作。
そういうぼくも途中までは
「これはダメ人間のための映画だ!」
と思って観ていたわけだが、エンディングを観て考えが変わった。


ここからはぼくの妄想に近い深読みなので、「そうとも取れる」ぐらいに考えながら読んでいただきたい。

映画を観た人は思い出してほしいが、この物語の最後、ショーンの手に残ったものと、ショーンから失われたものはなんだったろう。
残ったものは、自堕落な自分のままで受け入れてくれるガールフレンドと、トラブルを起こすことのなくなった友人。
失ったものは、折り合いの悪い親と、彼女をそそのかして自分と別れさせようとする連中。

頼もしく成長するかと思われたショーンは、邪魔者も消え、結局いちばん居心地のいい環境を手に入れて、ますます自堕落に磨きがかかっただけなのだ。
このエンディングはハッピーエンドなのか、そうではないのか。
少なくとも、ショーン自身にとっては(ということは、ショーンに感情移入していた観客にとっても)、これ以上ないハッピーエンドなのだが。


そう考えると、要所要所で必ずショーンに都合よく展開していくストーリーも、「この映画もしかしたら全部ショーンの妄想なのかもしらん」とも思えてくる。
製作者が「映画だから」と割り切ってそういうストーリー展開にしたのか、もしくはもっと意地悪な視点が隠されているのか、それとも製作者自身がショーンみたいな人なのか。


我ながら深読みが過ぎる気がしなくもないが、単にホラーコメディで片付けるには、あまりにしっかりと作られた映画だったので、ちょっと妄想してみた。
とはいえ、気軽に観てもじゅうぶん面白い映画なので、残酷描写(終盤にショックシーンあり)に抵抗のない人はぜひ観てみてほしい。

お気に入りは、庭に侵入した連中にレコード投げて応戦するシーン。
捨てたり売ったりするにはしのびないが、ああいう場面でなら思い切って投げたいレコードというのは確かにある。
ぼくなら『ラ・ブーム2』のサントラLPとかを投げると思う。


なおこのエントリーに関しては、本編中でくどいほど
「ゾのつく単語は使うな!」
と叫ばれていたので、その単語は避けて書いてみた。


<追記@2006年1月18日>
本作の監督エドガー・ライトとショーン役のサイモン・ペッグが、そろって『ランド・オブ・ザ・デッド』にエキストラ出演を果たしたらしい。本家ロメロ監督の映画に出演できて本望だと思われるが、その役柄はゾのつく単語なのであった。




【2005.03.26 Saturday 22:23】 author : 猫パンチ | 映画 サ行 | comments(11) | trackbacks(11) |
ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団◇血に飢えた白い猿。
タイトル。
ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団
1974年/タイ日合作/80分


原題:飛天超人
配給:富士映画

スタッフ
監督: 東條昭平 トウジョウショウヘイ
製作: 円谷皐 ツブラヤノボル
ソンポート・SAEGDUENCHAI 
伊藤久夫 イトウヒサオ
脚本: 若槻文三 ワカツキブンゾウ
淡豊明 
ソンポート・SAEGDUENCHAI 
撮影: 町田敏行 マチダトシユキ
美術: 天沢哲三 
編集: 柳川義博 ヤナガワヨシヒロ
スクリプター: 佐川和夫 サガワカズオ
堀ヨシ子 
川口秀雄 
佐藤貞夫 
鎌田靖男 
島崎尭司 
助監督: 中島俊彦 ナカジマトシヒコ
照明: 佐山五郎 サヤマゴロウ

ストーリー(キネ旬DBより)
※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください
突然、太陽の活動が激しくなり、燃えさかる炎となって、地球に接近し始めた。焼けるような太陽が降りそそぐタイ国の寺院の広場では、伝説の白猿ハヌマーンのお面をかぶった少年コチャンと友達のアナンダ2人による雨乞いの踊りが行なわれていた。ちょうどそのころ、ドーナ第七ロケット基地においても、地球の異常事態を救うため、ヴイルット博士の人工雨の実験準備が進められていた。しかし、その踊りが最高潮になったとき、三人の盗賊が寺院に侵入し、黄金の仏像の首を奪い、立ちむかってきたコチャンを殺害して逃走した。宇宙の彼方、M78星雲、ウルトラの星でこの様子を見ていた、ウルトラの母と6兄弟は、勇気あるコチャンの死を哀しみ、そっと地球に手を差しのべ、コチャンの死体に“白猿ハヌマーン”の魂を招き与えた。ハヌマーンとなって地球に帰ってきたコチャンは、3人の盗賊に復讐し、日射病によくきくサンユラントリチャワーの花を探した。一方、人工雨の実験の最中に、大爆発がおこり、それで発生した地震のために、大岩盤が2つに割れ、その下で眠っていた怪獣、ゴモラ、アストロモンス、ダストパン、タイランド、ドロボンらが姿を現わし、基地一帯を破壊し始めた。この時、サッソウとハヌマーンが現われ、5頭の怪獣を相手に戦いがはじまった。そこへM78星雲から、ウルトラ6兄弟のゾフィ、ウルトラマン、セブン、新マン、エース、タロウが飛来してきて、怪獣を全滅させた。太陽はすっかり静まり、地球には再び平和がもどるのだった。


いまは『帰ってきたウルトラマン』のことを「新マン」とは呼ばないらしい。「新マン」のほかに「帰りマン」というあんまりな呼称もあったと思うが。
ではなんと呼んでいるのかというと、いつのまにか「ウルトラマンジャック」という外国人ふうの名前が付けられているのである。
あんまりジャックという感じはしないのだが、円谷プロがそう言い張っているから仕方がない。まあ初めて来たのに「帰ってきた」と言われ続けるのも気の毒なことだし。
気の毒といえば、この新マンことジャック、なんだかすごく弱いイメージがある。というのも、番組中ではほぼ毎回、登場するなり怪獣に叩きのめされたりして大ピンチを迎えていたからだ。見かねたウルトラマンやセブンがときどき助っ人に来ていた。


そんなジャックのことはさておき、本作は円谷プロとタイが合作した怪獣映画だ。
スタッフは日本人中心だが、全編タイでロケをしていて、役者も全てタイ人という変り種である。


太陽の温度が上がり、さらに地球に接近するという異常現象のため、干ばつに見舞われる地球。
その対策として、タイのドーナ基地では、人工降雨ロケットの発射準備が進められていた。
いっぽうタイのとある村では、主人公の少年コチャンたちが雨乞いの踊りを踊っていたが、その村に3人組の泥棒が侵入。仏像の首を盗んで逃げようとするところを見つけたコチャンは彼らを追うが、拳銃で額を撃ち抜かれて殺されてしまう。

ナイナイ岡村。
「ぎゃーーーーっ」



はるか遠いウルトラの星でこれを見ていたウルトラの母は、コチャンにハヌマーンの魂を吹き込んで生き返らせることにした。
なお、上記ストーリーでは「そっと地球に手を差しのべ」と書かれているが、実際はこんな感じ。

迫り来るウルトラの腕。
謎の手の出現に逃げまどう子供たち。


大パニックになっているわけだが。


『ウルトラマンタロウ』第1話のシーンを流用しつつ、ハヌマーンとして復活するコチャン。
彼が真っ先におこなった仕事は、泥棒3人組への復讐であった。

彼らの目の前に現れたコチャンは、変身するなり巨大化。
逃げまどう3人を、踏み潰したり握り潰したりで次々に殺害していくのであった。
この際のハヌマーンのセリフが恐ろしい。
はじめのうちは
「逃げてもムダだ!」
「仏様を大切にしろ!大切にしないやつは死ぬべきなんだ
など、言い過ぎの気もするが、まだ正義の味方っぽいことを言っているのだが、途中から明らかにトーンが変化する。

「お前たちを殺してやる!
「ほらほら悪党め、どうした〜」

楽しみはじめているのである。
あげくのはてにこのセリフ。

「そーら、逃げろ逃げろ!」

どっちが悪党だかわからないと言える。
その後、この3悪人の1人は怪作『ハヌマーンと5人の仮面ライダー』で地獄から復活。V3に蹴られたりバイクで追い回されたりする大活躍を見せることとなる。


さて、復讐を果たしたハヌマーンは、次に異常接近する太陽を止めるべく天空へ飛び立つ。優先順位が違う気もするが。
またこの太陽を止める手段が素晴らしいと言おうか独創的と言おうか、なんと直談判である。
近付いてみると、太陽はヒゲのオッサンであった。

とんでもねえ、あたしゃ太陽だよ
ちょっと千葉真一が入った太陽。


太陽に語りかけるハヌマーン。
「停まるんだ!お前は地球に近付きすぎている」

「そういえば、そうだ」

驚くほど素直に納得する太陽。
「お前のために、雨も降らないんだ」
「それは気の毒なことをした」
「地球から、もう少し遠ざかってくれ」
「そうしよう」
その言葉どおり、ゴゴゴゴゴと地球から離れていく太陽。
干ばつあっさり解消。
異常現象の原因は、太陽のおっさんがトボけていたからということか。


そのころタイでは人工降雨ロケットの実験を成功させた博士が、調子に乗って本番も前倒しでおこなおうとしていた。
本部からの「慎重にやるように」という要請も無視し、ロケット発射を強行しようとする博士。
秒読みが進み、
「3、2、1、0!」
発射ボタンを押したとたん、発射台に乗った数十基のロケットがいっせいに爆発を起こす。

基地はほぼ壊滅し、しかも爆発の影響で怪獣軍団が地上に出て大暴れを始めてしまった。
駆けつけて威勢よく怪獣軍団と戦うハヌマーンだったが、さすがに多勢に無勢、たちまち劣勢に陥ってしまう。

と、そこに飛来するウルトラ6兄弟。
「大丈夫か、ハヌマーン!」
あ、言い忘れていたが、この映画ではウルトラ兄弟は言葉を喋る
そのため、戦闘でも「シアッ」とか「ヘアッ」とか言わず、
「てぇいっ!」
とか言っている。
ともかくそうしてウルトラ兄弟に助けられたハヌマーンは、力を合わせて怪獣軍団に反撃を開始するのだった。

さてロケットはほとんど爆発してしまい、もはや守るものもないかに思えた基地だったが、まだ重要な施設が残っていた。
ロケット用の特殊燃料が詰め込まれたタンクである。
これが爆発しては、こんどこそ基地は壊滅してしまうだろう。

だが、ハヌマーンはじめ、現場の連中はそんな大事な施設があることを誰ひとり知らなかった。
基地内でおろおろ見守る博士の心配もむなしく、ついに引火する燃料タンク。
大爆発の中、
「ばくはつするぞぉ〜、あははははははは」
ついに発狂してしまう博士であった。

いっぽう怪獣軍団は、爆発に巻き込まれて戦力が落ちたところを、ハヌマーンに蹂躙(じゅうりん)されていく。
ある者は八つ裂き光輪で首や両腕を切り落とされ、またある者はウルトラマンとハヌマーンに皮をはがれて骸骨と化してしまう。

ずるっ!
ハヌマーン「骸骨にしてやるぞ!」


そうして怪獣軍団は殺戮されていき、残るはゴモラただ1体となる。
反撃するゴモラの姿にかぶさるナレーション。
「最強の怪獣ゴモラには、もっと恐ろしい超能力がある。
 それは、恐怖の怪獣念力だ!」

なんだそれは。

怪獣念力によって不思議な空間に引きずりこまれ、謎の踊りでその場を打開しようとするハヌマーン(違うかもしれないが、そうとしか見えない)。
そこへウルトラ兄弟が合体光線を発射、念力は打ち破られた。

こうなるとあとは7対1、戦いにもならない公開処刑である。
逃げまどうゴモラをふんづかまえて、蹴りまわすは殴り倒すはと存分にいたぶったあと、ハヌマーンの光線で真っ二つにして倒すのだった。

戦いが終わり、ウルトラ兄弟が直立不動で見守る中、ひとしきり勝利の踊りを踊るハヌマーン。
やがて踊り終わるとウルトラ兄弟とハグを交わし、兄弟は再び宇宙に飛び去っていくのであった。

ハグハグハヌマーン。
戸惑い気味のウルトラ兄弟。



クレジットを見てわかるように、円谷プロのスタッフ中心に作られているためか、『ハヌマーンと5人の仮面ライダー』ほどムチャクチャではないが、それでも我々日本人から見ると「これは違う」と思わざるを得ないシーンが次々飛び出してくる本作。

細かいことを言うと、ロケット基地の職員の制服が『ファイヤーマン』の隊員服(たぶん)だったり、ロケット操縦士の服が『ウルトラマンタロウ』の隊員服だったりするのも妙な感じである。
またこの操縦士2人組、コメディリリーフ要員なのだが、片方がどうしても大泉滉に見えて仕方がなかった。東映映画の観すぎと言える。
しかももう一人の声が滝口順平で、視覚・聴覚両面から大いに刺激された2人組であった。

なおこの映画、現在なぜか版権は円谷プロではなくタイ側にあるらしい。
『ウルトラセブン』12話と同じく、今後公式な記録から消滅することも予想される本作。大きなレンタルビデオ店に行けばまだ置いてあるところもあるはずなので、興味のある人は、観れるうちに観ておくことをお奨めする。
【2005.03.25 Friday 19:50】 author : 猫パンチ | 映画 ア行 | comments(12) | trackbacks(3) |
ビキニの悲鳴◇リアリズムの罠。
ビキニの悲鳴

ビキニの悲鳴
1965年/アメリカ/70分


原題1:The Beach Girls and the Monster
原題2:Monster From The Surf
別邦題:ビーチガールと怪物

監督:Jon Hall
原作・脚本:Joan Janis (as Joan Gardner)
脚本補:Don Marquis, Robert Silliphant (as Robert Siliphant)
プロデューサー:Edward Janis
音楽:Frank Sinatra Jr.
撮影:Jon Hall
編集:Radley Metzger (uncredited)
美術:Shirley Rose
特殊効果:Robert Hansard .... special effects (as Bob Hansard)

出演:
ジョン・ホール Jon Hall:オットー・リンゼイ博士 Dr. Otto Lindsay
スー・ケーシー Sue Casey:ヴィッキー・リンゼイ Vicky Lindsay
アーノルド・レッシング Arnold Lessing:リチャード・リンゼイ Richard Lindsay
エレーン・デュポット Elaine DuPont:ジェーン Jane
ウォーカー・エドミッソン Walker Edmiston:マーク Mark
リード・モーガン Read Morgan:マイケルズ保安官 Sheriff Michaels
キャロライン・ウィリアムスン Carolyn Williamson:スー Sue
グロリア・ニール Gloria Neil:バニー Bunny
トニー・ロバーツ Tony Roberts:ブラッド Brad
クライド・アドラー Clyde Adler:スコット副保安官 Deputy Scott
デイル・デイヴィス Dale Davis:トム Tom
キングスレイ・ザ・ライオン Kingsley the Lion:本人 Himself


'60年代あたりのアメリカ映画には「ビーチパーティーもの」というジャンルがあった。
内容はどれも全て
「恋だ!水着だ!サーフィンだ!!テケテケテケテケ♪」で言い表せてしまうような、浜辺で若い男女がイチャイチャしたりすったもんだしたりする映画たちである。
日本で言うと加山雄三の『若大将シリーズ』を安くしたみたいな感じか。

当時のあちらの若者たちは、そういう映画をドライブインシアター(広場のスクリーンに映画を映す青空映画。むろん夜にしか上映できない。客は自分たちの車を整列させ、乗ったまま映画を観る横着なシステム)で観て盛り上がっていたと思われる。

それだけ若者に受けがいいんなら、たまには別の要素をミックスしてみたらもっとウケるかも!
と製作者が考えたかどうかわからないが、本作はビーチパーティーものの土俵にモンスターを持ち込んだ、異種格闘技のような1本だ。


映画は軽快なサーフィン・ミュージックとともに幕を開ける。
タイトルバックの映像ももちろんサーフィン。波に乗る若者や波に乗る若者、そしてまた波に乗る若者などが次々と映し出され、早くも何の映画を観ているのかわからなくなってしまう。
ちなみに音楽はフランク・シナトラJr.(ナンシー・シナトラの弟)だ。

タイトル画面。


さて昼ひなかから浜辺でビーチ・パーティーに興じる、主人公リチャードら6人の男女。パーティーと言ったってサンドイッチを食べながらゴーゴーを踊るような他愛もないものだが、そうしてじゃれあううちに、追いかけっこなどはじめる1組のカップル。
「つかまえてごらんなさーい」
「まてーぇ」

そんな感じで。
追いかける男のほうは早々に脱落するのだが、女は調子に乗って、遠くの岩陰まで逃げていく。
そこは洞窟の入り口になっていて、身を隠した彼女は彼氏の様子をイタズラっぽく観察するのだった。

と、彼女の背後によろよろと迫る黒い影。
それは、『恐怖の洞窟』の怪物に昆布をまきつけたような風体の、ぬいぐるみ感丸出しの、謎の生き物であった(ジャケット写真参照)。
明らかに目立つ生き物が迫っているにもかかわらず、一向に気付かない彼女。
両手をかざし、亀のようにノロノロ迫る怪物!
そのまま背後30センチぐらいまで近づかれ、ようやく気付く彼女だったが、時すでに遅く、怪物につかみかかられてしまう。

さて、本作の登場人物たちの特徴として挙げられることに、「とにかく鈍い」ということがある。
この場合も、主人公たちと彼女の距離はせいぜい数十メートルぐらいのものだと思われるが、そんな近くで絶叫している彼女の声が届かないのだ。
リチャードたちがのんきにギターを弾いたりしているうちに、彼女は絞め殺されてしまう。
怪物は怪物で、彼女を殺害すると、再びよろよろと洞窟に戻っていくのであった。
何をしたかったのか。

やがて彼女の死体が見つかり、保安官マイケルズが駆けつけてくる。
遺体周辺を調べると、怪物のものと思われる謎の足跡が見つかるが、それは海へと消えていたのだった。


ガールフレンドが殺され、とぼとぼ家に戻るリチャードを待ち受けていたのは、父オットー博士のお小言であった。
海洋学の権威である博士は、息子リチャードが最近研究にも協力せずに浜辺でちゃらちゃらしているのが不満でならないのだ。
「立派な学者になってから、いくらでも遊べばいいじゃないか」
と諭す父と、
「青春はいまだけなんだから、いましかできないことを楽しみたいんだ」
と反論する息子。
進路を決めるような時期になると、たいがいのご家庭で見られるような風景であるが、この親子もごたぶんに漏れず物別れに終わる。

父に叱られたリチャードは気晴らしに、居候している友人マークを誘ってサーフィン・フィルムの上映会を行うことにした。
このマークというのは、以前リチャードの運転する車に乗っていて事故にあい、片足が不自由になってしまった男だ。責任を感じたリチャードが、彼の世話をするために家に住まわせているのだが、それでマークほったらかしてビーチパーティーなどやってたら、そりゃあ親父も小言をくれると思う。

それはともかく、ここで
「サーフィンは最高だぜ」
とか言いながらリチャードが上映する8ミリフィルム。
これがたっぷり5分間にわたり、音楽に乗せたサーフィン映像が流れるだけなのである。
しかもこれはどこかで観たと思ったら、タイトルバックの映像と同じフィルムだ。


そのころ父オットー博士のもとには、マイケルズ保安官が訪れていた。
浜辺で見つけた足跡を鑑定してもらうためだ。
石膏で固めた足型をしげしげ眺め、
「このへんの魚じゃないね」
と断定する博士。
このへんといわず、足跡があったらそれはふつう魚じゃないが。
「南米に住む、50kgもある肉食性の魚に似ているよ。それがもし、突然変異を起こせば……
なんでも突然変異で済むと思ったら大間違いだ。
と思ったら、保安官は冷静にも
「私は人間の仕業だと思います」
とズバリ指摘。
「おそらく変質者の仕業ですよ」

客観的に見て、保安官の意見のほうが明らかに常識をわきまえているが、こういう場合、たいがいのモンスター映画では博士側の意見が正解なのである。まして本作の場合、すでにモンスターの姿がバッチリ出ちゃってるし。
……と思っていたら、じつはこれが罠なのであった。
衝撃の真実は本文終盤にて。


その夜、性懲りもなく浜辺で歌や踊りに興じるリチャードや仲間たち。
昼間ガールフレンドが死んでるというのにお前らは。
あるものは泳ぎ、あるものは焚き木の番をし、あるものはイチャイチャし…とめいめい盛り上がっているところに、またも怪物が現れる。

怪物は焚き木の番をしていた男によろよろと近づき…ってこの男もやっぱりギリギリまで気付かないのである。
たちまち押し倒されて首を絞められる男。
「ヘーーールプ!」
あらん限りの声で叫ぶものの、すぐその辺で泳いだりしてる連中は、今回もやっぱりその声が聞こえないのであった。
真っ暗な中で、唯一の光源である焚き火のそばで怪物が大暴れしてるんだから、聞こえないにしても気付けよと思うが。
パーティーのやりすぎで色々おかしくなったのか。

しかし、ただ一人異変に気付いた男がいた。
遅れてビーチパーティー会場に向かっていたマークだ。
彼は松葉杖をつき、不自由な足を引きずって助けに走るが、そんな状態では速度も出ない。間に合わずに男は怪物に絞め殺されてしまう。

男を殺してまたよたよた怪物が立ち去ったあと、ようやく男のもとにたどり着くマーク。
男の遺体を抱え、
「助けてください!助けてください!」
と叫ぶと、ようやく気付いたリチャードたちがやってくるのであった。


やがて駆けつけた保安官に
「君が殺したんじゃないのか」
とあまりに無茶な嫌疑をかけられたマークは、その場にあった車を奪って逃走、そのままリチャードの家へと向かう。
家に着くや、さっそく家宅捜索を始めるマーク。
いくつかの部屋を調べた後キッチンへ向かい、おもむろに流しの下の扉を開けると、そこから転げだしてきたのは、なんと怪物の生首だった!








生首と見えたものは、ぬいぐるみの頭部だった。
なんと、怪物は本当にぬいぐるみだったのである。
しかし頭部だけがここにあるということは……?

次の瞬間、首から下だけ怪物のぬいぐるみを着た男がキッチンに飛び込んできた!

むきだしになったその顔は、なんとオットー博士その人であった。

とっさに包丁を握ったマークは博士を刺して傷を負わせるが、逆に自分もぬいぐるみの鋭い爪で刺されてしまう。
博士は(ぬいぐるみを着たまま)車で逃げ去り、入れ替わりにリチャードが戻ってくる。
リチャードに真相を伝えると、マークは息を引き取ったのだった。


保安官のパトカーに同乗し、逃げる父(ぬいぐるみ着用)を追うリチャード。
父は、息子をちゃらんぽらんな道に引き込んだビーチパーティー仲間を憎むあまり、怪物に化けて殺人を犯していたのであった。
「人間の仕業だと思いますよ」という保安官の推理は当たっていたわけである。

カーチェイスの末、ハンドルを誤ったオットー博士は、車とぬいぐるみもろとも崖下に転落してしまう。
爆発・炎上する車を捉えたカットで「THE END」。



やけにぬいぐるみ然としたモンスターが出て来たなと思ったら、
「本当に中に人が入っていました」
という、ミもフタもないというか、開いた口がふさがらないオチが用意されている本作。
確かに観客の意表は突くが、同時にものすごい「まぬけ」を背負ってしまう結果となった。

なにしろ海洋学の権威である博士が、モンスターのぬいぐるみを手作りして若者を殺してたわけである。
ちょっと『ゼブラーマン』みたいだ。
初出動のときドキドキしなかったろうか。

なお、そのオットー博士役は、ジョン・ホール監督本人。
ラスト、ぬいぐるみを着たまま車で爆走するシーンでは、衣装のまぬけぶりをものともせず、迫力溢れる素晴らしい表情を見せてくれた。




【2005.03.16 Wednesday 23:58】 author : 猫パンチ | 映画 ハ行 | comments(5) | trackbacks(2) |

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