大正時代の身の上相談
カタログハウス
めけ。さんの
「ボムガール」で
処女を150万円で売った女性の話を見つけたのでトラックバック。
アダルトな話題が続いてしまい、
うぶな読者の方には申し訳ない。
処女について語る前に、ちょっと本の紹介をさせていただきたい。
上記「大正時代の身の上相談」という本だ。
この本は、大正時代に読売新聞紙上に寄せられた身の上相談をまとめたものだが、たかだか100年前のことなのに、日本人の意識や貞操観念が(よしあしは別として)現在と大きく違っていて興味深い。
中でも目を引くのが
処女観で、妻が結婚の際に処女でなかったからと、離縁を申し出たり怒ったりする男が非常に多いのだ。
たとえば以下のような調子。
私は先ごろまで田舎の医院に奉職していた者ですが、一昨年の春から土地の娘と懇意になり、ついに相愛の仲となりました。
ところが処女だとばかり信じていたその女は、私以前に三人も関係した男があり、堕胎の大罪まで犯していたことがわかりました。(後略)
私の夫は、以前、子供が二人もいたのに、貞操のことで九年間暮らしていた妻を離別しました。その後妻に来たのが私です。
私は当時、夫の心を知らなかったものですから、自分にも過去のあることを隠して継子をみるのが罪ほろぼしと思ってきたのです。そして今では、合わせて四人の子持ちです。
ところがこの頃になって、夫は私の過去を知って大いに怒りました。
「俺は処女を知らなかった。男と生まれた生きがいもない。処女を妾として置くから、公然と承知せよ」と迫り、現に薄給の身もかまわずに、そっちの方面に金をかけて家政を顧みません。(後略)
「堕胎の大罪」というのもすごい言い草だが、初婚・再婚とも妻が非処女だった2人目の旦那のセリフもものすごい。
「男と生まれた生きがいもない」って、男の生きがいってそんなものなのかと思うが。さらにその腹いせとして処女を妾として置くという発想は、現代人の追随を許さないものがある。
で、処女の話である。
150万円で処女を売った女の子の話を読んでまず思ったことは、
「それに金を出す男の気が知れない」
であった。
ぼくはそんなに処女にありがたみを感じないもので。
ありがたみを感じないというより、処女とのセックスは、
できればご遠慮したいとさえ思う。
理由は簡単で、いろいろ気を使うことが多そうだから。
めんどくさがりなのである。
それとは別の問題で、嫁は処女がいいかどうかときかれたら、ぼくはやっぱりそうじゃないほうがいい。
男をダンナしか知らない女性って、偏見かもしれないが、世界が狭いんじゃないかという印象があるからだ。
ぼくはそういう人よりも、それなりに恋愛してセックスも楽しんで、という女性のほうが魅力的に感じるのだ。
女性の方、自分のために、将来出会う男のために、女を磨いておいてください。
まあ、個人の嗜好の問題だから、人それぞれだろうとは思うが。
あ、上記は
「やるときは避妊と性病に気をつける」という前提での話だ。
男女とも、見境なくやりまくる人は、さすがにぼくもどうかと思う。
もっとも、処女に価値を見出す人の気持ちもわからないでもない。
当たり前だが、処女は
一回やっちゃうまでの命である。
やっちゃったらもう処女じゃなくなってしまうのだ。
その貴重な第1回めを俺の手で!という気持ちもあるだろうし、何も知らない女の子を自分の色に……という、征服欲とか調教願望みたいなのもあるんじゃないだろうか。
「男は最初の相手に、女は最後の相手になりたがる」という言葉もあるし。
そう考えると、なんか処女好きの男って、彼女の過去の男関係とか気にしたりしそうな感じがするな(偏見)。
女の子の立場からすると、痛かったり血が出たり裂けたりして、肉体的にも精神的にも区切りがつくように思えるが(男の勝手な想像だが)、男は単に「初物」をありがたがってるだけなのかもしれない。
いい気なもんだといえる。
しかしそんなにもありがたがってもらえる処女に較べて、
童貞の立場のもろいことといったらどうだ。
下手をすると
「キモーい」とまで言われてしまう始末。
ぼくは20代後半の頃、ふざけて
「自称童貞」という肩書きを使っていた。
自己紹介のときなどに
「猫パンチです、自称童貞です」
と言ったりしてたわけだが、30代になるとそのふざけが
通じなくなってきたのでやめた。
本気で気持ち悪がられるのだ。
自称童貞が通じるのは20代まで、ということである。
もうちょっと封印しておいて、おじいちゃんになったらまた言おうかと思う。
そんなふうに、まるで
人生の盲腸のような扱いを受ける童貞。
処女喪失は「失う」「捨てる」「散らす」などさまざまな言い方があるのに対し、童貞は
ほぼ「捨てる」のみであることからも、その邪魔者ぶりがわかろうというものである。
このへんの処女観・童貞観のちがいというのは、「子孫を作る」ということに対する役割分担の違いから来る意識なのかもしれない。
なんだかまじめに考察しているが、気を取り直して人生相談に戻ろう。
童貞つながりでこういう投書も。
私は二十一歳の青年で、いまから声楽家となるべく勉強したいのです。
私は酒もたばこも口にせず、それに童貞です。そのためか、子供子供した声が出ます。どうでしょうか。声楽家としてものになるでしょうか。ものになると仮定して、親切な声楽家のお世話を受けたいのですが、どなたか適当な方はございませんか。女中代わりでも、ある程度は務めます。(後略)
「それに童貞です」。
全国にきっぱりと言い放つ彼の
頼もしさはどうだ。
童貞も自称童貞も、新聞紙上でこのように堂々と発表できる
勇気を持ちたいものである。
さて最後はこの投書。
ってちょっと
ラジオのDJみたいだが。
私は今春、大阪の某商業学校を卒業した十八歳の青年ですが、進学に失敗し、落第の憂き目を味わったものです。(中略)
近来、家の近所は新開地となり、新しい家がめっきり増加しました。そしてどこの新開地にも見受けられるように、不良少年少女が跋扈してしきりと不埒な所業を働くようになりました。
彼らは私の家が裕福なのに目をつけ、あらゆる巧妙な手段を弄して私を誘いました。
最初は私の家庭の厳格な監視のために容易に近づき得ませんでしたが、私が三年生のころから、とうとう不良少女の術中に陥り、純な心を散々さいなまれました。ある時は露骨に愛を迫り、はなはだしい時は自分の裸体写真を寄こして、私の心を動かしました。彼女らの大胆な行動は、実に言うにしのびない、恐ろしいものがあります。(後略)
この投書に対して言うべきことはたった一つだ。
「いいなぁ裸体写真」
たった一つだといいながら
もう一つ言うが、よく読むと
もらった裸体写真で
心を動かしているのである。
男として
大いに同情できる。
そんな嬉しい贈り物、ぼくだったら
家宝にするな。
最後に、このエントリーを書くにあたり、Yahoo!オークションで
「処女」を売りに出している人がいないか調べてみたが、さすがにそんな人はいなかった。
とりあえずご報告まで。
それでは皆様、よい性生活を。(←余計な一言)
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