社会の窓からこんにちわ

長文のエントリーが多いので、休み休み読んでいただくのがいいかと思います。
トラックバックやリンクはご自由にどうぞ。
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

【2015.04.27 Monday 】 author : スポンサードリンク | - | - | - |
うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー◇第1回 ゴーストタウン映画祭 その3。


もしも世界が滅びたら、あんなこともできる、こんなこともできる……

そんな妄想にどっぷり浸ったことのある人のための、ゴーストタウン映画祭。
3本目にして、第1回映画祭のトリを飾るのは、1984年のアニメ映画だ。

うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー
うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー
<1984年/東宝・キティフィルム/98分>


スタッフ
監督: 押井守 オシイマモル
演出: 西村純二 ニシムラジュンジ
製作: 多賀英典 タガヒデノリ
原作: 高橋留美子 タカハシルミコ
脚本: 押井守 オシイマモル
企画: 落合茂一 オチアイシゲカズ
作画監督: やまざきかずお 
森山ゆうじ モリヤマユウジ
撮影: 若菜章夫 ワカナアキオ
音楽: 星勝 ホシカツ
音楽監督: 早川裕 
主題曲: 松谷裕子 
美術: 小林七郎 コバヤシシチロウ
録音: 斯波重治 シバシゲハル
スクリプター: 久保真 
スタジオぴえろ 

キャスト(役名):
平野文 ヒラノフミ (ラム)
古川登志夫 フルカワトシオ (諸星あたる)
神谷明 カミヤアキラ (面堂終太郎)
島津冴子 シマヅサエコ (しのぶ)
鷲尾真知子 ワシオマチコ (サクラ)
千葉繁 チバシゲル (メガネ)
村山明 ムラヤマアキラ (パーマ)
野村信次 ノムラシンジ (カクガリ)
二又一成 フタマタイッセイ (チビ)
田中真弓 タナカマユミ (竜之介)
安西正弘 アンザイマサヒロ (竜之介の父)
池水通洋 イケミズミチヒロ (温泉マーク先生)
西村知道 ニシムラトモミチ (校長)
永井一郎 ナガイイチロウ (錯乱坊(チェリー))
杉山佳寿子 スギヤマカズコ (テン)
緒方賢一 オガタケンイチ (あたるの父)
佐久間なつみ サクマナツミ (あたるの母)
藤岡琢也 フジオカタクヤ (夢邪鬼)

ストーリー(Yahoo!ムービーより):
 キュートな異星人・ラムと、超女好き高校生あたるが連日のように巻き込まれる、突拍子もない超常現象や奇妙な事件を描く、ハイパーテンションSFラブ・コメディの劇場用作品、第2弾。脚本・監督を、「攻殻機動隊」の押井守が務めた。本作品の特異な世界観やストーリーは、現在の押井守の世界の原形とも言われている。あたるの通う友引高校は、本番を明日にひかえて文化祭の準備に大わらわ。だが……翌日になってもやはりあたるたちは文化祭の準備をしていた。実は友引高校のみんなは同じ日を延々と繰り返していたのだ。事態に気付いた担任の温泉マークと養護教諭・サクラは原因を究明しようとみんなを下校させるが、無事帰り着けたのはあたるとラムだけ。みんなは何度帰ろうとしても、友引高校に戻ってきてしまう。その間にも異変は起こり続け、ついに財閥の御曹司・面堂終太郎が自家用ハリアーを持ち出して空から現状を確認する事態に。すると、なんとそこには友引町を甲羅に乗せて中空をさまよう、巨大な亀の姿が…!!


「うる星やつら」とは何か。
20代以下だと知らない人も多いだろうが、そこから解説していくのもたいへん面倒なので、作品案内としてはこちらあたりを参照してもらうことにして、いきなり映画の話に入らせていただく。


タイトルの数字を見てわかる通り、本作はアニメ「うる星やつら」劇場版の第2作目なわけだが、それまでのTVシリーズや劇場第1作、原作と較べて、あまりに雰囲気が独特だったため、公開当時は熱心なファン(特に原作の)から
「これは『うる星やつら』ではない」
とまで言われていたと記憶している。
原作者の高橋留美子もそんなようなことを言っていたらしい。
だからといってつまらない映画かというとそんなことはなくて、ぼくはむしろかなり好きな作品だ。


主人公の諸星あたるたちが通う友引高校では、生徒一同泊まりこみで、にぎやかに学園祭の準備をおこなっていた。
翌日はいよいよ学園祭本番……のはずなのだが、なぜか一夜明けても生徒や教師たちは相変わらず「学園祭前日」を過ごしている。
翌日も、その翌日も。
毎日毎日
「明日は学園祭初日だ」
と言いながら、延々準備ばかりをしているのだ。

連日の泊まりこみによる過労で倒れ、一人帰宅した担任教師の温泉マーク(そういう名前)は、留守にしていた自宅が廃墟となっていたのを見て、はじめて自分たちの周りに異常事態が起こっていたことに気付く。
温泉マークの相談を受けて、校医で霊能者のサクラが事態解明に動き出した。

生徒を全員下校させたのだが、解散した面々は、どうしても街から出ることができず、再び学校へと戻ってきてしまう。
仕方なく、財閥の御曹司である面堂の自家用ハリアーで空に脱出した一行が見たものは、巨大なカメの背に乗って宇宙を漂う街の姿であった。

カメと宇宙。
映画『ダークシティ』に影響を与えたシーン。



そのときハリアーがガス欠を起こし、一同は仕方なく町に舞い戻るのだが、この翌日から、世界はがらっと変化してしまう。
お待ちかね、無人の廃墟になってしまうのだ。

廃墟と化した街。
郷愁を誘う終末の景色。



高校の校舎は水没し、ビルは崩れ去り、ハリアーに乗り合わせた一行以外の全ての人が街から消えていた。
しかし不思議なことに、そんな状況でも、一同が生活拠点にした諸星家にだけは、電気やらガスやら新聞やらが滞りなく供給されていたり、スーパーはなぜか尽きることのない在庫で生活を支えてくれていたりしていた。

廃墟名物。
もちろん健在な「(無料で)買い物大会」。



こんな世界にいきなり放り出されたあたるたちはどうしたかというと、ひたすら遊ぶのである。

校舎跡で泳いだり、映画館でゴジラ(1作目)を上映したり、ひたすら昼寝したり……生活の不安がないうえに、遊び放題ダラけ放題なこの生活、小松左京の「こちらニッポン…」を読んだとき以上にうらやましかったものだ。
ものだというか、いまでも心底うらやましいと思う自分がいるが。

バカンスざんまい。
電化製品使えるのが高ポイント。






しかしこの夢のような世界は、じつはほんとに夢なのだった。

現実と同じような夢を自在に作れる妖怪・夢邪鬼(むじゃき)が、ぐうぜん出会ったラムの理想を夢にしつらえ、他の一同を巻き込んだものだったのである。

夢邪鬼。
声は藤岡琢也。



夢邪鬼を追い詰め、事件の真相に迫った面堂とサクラであったが、逆に新たな夢の世界に封じ込められてしまう。
残されたあたるは、現実に戻ることができるのか……?


という、前半は押井守が得意とする「夢の中で見る夢、そのまた夢」といった入れ子のような物語展開。後半はグータラパラダイスからクライマックスに至るまで、ボンクラ心を刺激してやまない場面の数々が登場する映画である。

水没校舎。
「ゴーストタウンって、いいものですね……」



ゴーストタウン映画としては、やはり後半の楽園生活シーンに尽きる。
夢のように都合のいい世界はやはり夢なのだという夢のない話ではあるが、って自分でなに言ってるのか混乱しそうだが、たとえ夢だとしても。
こういう状況になったら楽しいだろう、ワクワクするだろうという正直な気持ちが、軽快な音楽とともにスクリーンに展開されるのは爽快であり、押井監督ありがとうという気持ちを禁じえない。

夏の昼寝。
そういえば最近昼寝してないな。



現時点で、これがいちばん理想のゴーストタウンといえる。
【2005.09.16 Friday 20:22】 author : 猫パンチ | 映画 ア行 | comments(8) | trackbacks(2) |
28日後…◇第1回 ゴーストタウン映画祭 その2。


無人の廃墟と化した街にたった一人。

そんなシチュエーションにズキュンと胸をうたれる人のための、ゴーストタウン映画祭。
その2本目は、グっと時代が新しくなった2002年の作品だ。


28日後... 特別編
28日後... 特別編
<2002年/イギリス/114分>


原題:28 Days Later
配給:20世紀フォックス映画

スタッフ
監督: Danny Boyle ダニー・ボイル
製作: Andrew Macdonald アンドリュー・マクドナルド
脚本: Alex Garland アレックス・ガーランド
撮影: Anthony Dod Mantle アンソニー・ダット・マンテル
音楽: John Murphy ジョン・マーフィー
美術: Mark Tildesley マーク・ティルデスリー
編集: Chris Gill クリス・ギル
衣装(デザイン): Rachael Fleming ラファエル・フレミング
字幕: 松浦美奈 マツウラミナ

キャスト(役名)
Cillian Murphy キリアン・マーフィ (Jim)
Naomi Harris ナオミ・ハリス (Selena)
Megan Burns ミーガン・バーンズ (Hannah)
Brendan Gleeson ブレンダン・グリーソン (Frank)
Christopher Eccleston クリストファー・エクルストン (Major Henry West)
Leo Bill レオ・ビル (Private Jones)
Ricci Harnett リッチ・ハーネット (Corporal Mitchell)
Stuart McQuarrie スチュワート・マッカリー (Sergeant Farrell)
Noah Huntley ノア・ハントリー (Mark)


解説
死のウィルスにより廃墟になった世界での生き残りを描く恐怖映画。監督は「ザ・ビーチ」のダニー・ボイル。脚本は「ザ・ビーチ」の原作者だったアレックス・ガーランド。撮影は「ジュリアン」のアンソニー・ドッド・マントル。音楽は「容疑者」のジョン・マーフィ。美術は「24アワー・パーティ・ピープル」のマーク・ティルデスリー。衣裳は「ブリジット・ジョーンズの日記」のレイチェル・フレミング。出演は「ザ・トレンチ 塹壕」のキリアン・マーフィ、「えびボクサー」のナオミ・ハリス、「24アワー・パーティ・ピープル」のクリストファー・エクルストン、「がんばれ、リアム」のミーガン・バーンズ、「ギャング・オブ・ニューヨーク」のブレンダン・グリーソンほか。

ストーリー(Yahoo!ムービーより):
 怒りを抑制する薬を開発中のとある霊長類研究所。ある夜、精神を冒し即効性の怒りを発するウィルスに感染している実験用チンパンジーが、侵入した動物愛護活動家たちによって解放されてしまう。その直後、活動家の一人がチンパンジーに噛まれて豹変、仲間に襲い掛かる…。28日後。交通事故で昏睡状態に陥っていたバイク・メッセンジャーのジムは、ロンドン市内の病院の集中治療室で意識を取り戻す。ベッドから起き廊下をさまようジムだったが、院内にはまったく人の気配がなかった。人の影を求めて街へ飛び出したジムは、そこで驚くべき光景を目にする…。


前回紹介した『地球最後の男 オメガマン』の影響を色濃く受けたと思われる作品で、設定や物語運びなどに、いくつか共通する部分が見られる。とはいえリメイクではもちろんなく、オメガマンを知っていればより楽しめる、という感じだ。


発端はどこかの研究所。
そこの実験用の猿が感染していた「レイジ」(rage=激怒)という名のウイルスが広まってしまった。
ひとたびこのウイルスが体内に侵入すると、感染者は数秒のうちに発症。
それはいくらなんでも早すぎるだろうという声もあると思うが、映画的にはこのくらいダイナミックでも面白いといえる。

感染者たちは、普段はぐったりしているが、感染していない人間を見つけるや、怒り狂いながらものすごい勢いで追いかけてきて、その人間を全力でボッコボコにしてしまうのである。

荒れ狂う感染者。
「お前が嫌いなんだよ!」(本当にこう言ってる)



なんという恐ろしさであろうか。
しかも集団で来る
そのあまりの猛威に、ロンドンは28日間で廃墟になってしまっていた。

主人公ジムが交通事故から目覚めたのは、間の悪いことに、そんなときのことであった。
病院で目覚めた彼は、院内はおろか、街からも人が消えていることに戸惑いながらさまよい続ける。
戸惑っているわりに、破壊された自販機から缶ジュースが転がっているのを、ちゃっかりいただいたりしているが。

ロンドンひとりぼっち。
ぽつーん。


やがて感染者の巣窟に迷い込んでしまった彼は、当然のごとく追いかけられてピンチに陥ったところを、若い黒人女性セレナとその仲間に助けられる。
さらに、マンションの一室に立てこもって助けを待っていた、フランクとハンナの父娘と合流。
一行は、フランクが受信したラジオ放送を頼りに、軍が助けを用意しているというマンチェスターへと向かうのだった。


ところがそこにいた軍隊は、人類存続の名の下に、助けた女を共有しようとしていたからさあ大変。セレナとハンナを奪われ、ジムは放り出されてしまう。
それまでいいところのなかった、というよりむしろヘタレていたジムは、ここぞとばかりに大反逆に打って出る。
いきなりのキャラ変更に戸惑う観客を尻目に、軍を奇襲。
戦闘のプロを相手に目を見張る強さを発揮し、さらにモルモットとして囚われていた感染者を解き放って、基地を壊滅状態に陥れるのであった。

このへんちょっと『死霊のえじき』の匂い(バブ臭)を感じる展開ではある。
そのせいか、よくゾンビ映画であるかのように紹介されているが、そう思って観ると裏切られることになるので注意が必要だ。
前半は崩壊後の世界を旅するロードムービー、後半はボンクラへのサービス&ストレス解消と思って観るといいかもしれない。


さて、ゴーストタウン映画としての見どころは、まず序盤、ジムが無人のロンドン市内をさまよう場面だ。

ロンドン名物。
記念写真はこちらで。


横転した2階建てバスなど、素人目にもロンドンだとわかりやすい配慮がきいた、親切な廃墟だといえる。

しかしやはりいちばんグッとくるのは、フランクの運転するタクシーでマンチェスターまで旅する道中だろう。

「全ての棚があなたのものです!」
『ゾンビ』以来の人類の憧れ。


ボンクラの夢である、ゴーストタウン名物「ショッピングセンターで好きなものを好きなだけゲット」のコーナーもちゃんとあるし、イギリスならではののどかな田園風景も登場したりする。

実写『カリオストロの城』。
妖精ぐらいいてもおかしくない景色。



こういう風景を見ていると、やっぱり人類絶滅後に備えて車の運転ぐらいできないといかんかなと、切に思わされるのであった。
【2005.09.15 Thursday 21:02】 author : 猫パンチ | 映画 その他(数字・記号) | comments(2) | trackbacks(1) |
地球最後の男 オメガマン◇第1回 ゴーストタウン映画祭 その1。
このブログを読んでくれるような人なら、「廃墟が好き」という人もある程度いるんじゃないだろうか。
そういうぼくも、もちろん廃墟は好きだ。

ただ廃墟といっても、寂れた建物にはさほど興味がない(それなりには好きだが)。
ぼくが気になって仕方ないのは、町全体が廃墟の状態
いわゆるゴーストタウンというやつだ。
それも、山奥の廃村みたいなひっそりした感じじゃなく、普通の町なんだけど人間が一人もいない、そんな状態に憧れるのだ。

そんな妙な嗜好の原型になったのは、おそらく中学生のときに読んだこの小説だ。

こちらニッポン…
こちらニッポン…
小松 左京


小松左京の「こちらニッポン…」という作品である。
主人公がある朝目覚めると、自分以外の人間が世界から消えてしまっている。
ほかにも消えずにいた数人の仲間たちとともに、なぜこんな事態になってしまったのかを究明する旅をはじめる……という話なのだが、当時このシチュエーションにものすごく憧れたものだ。

くり返すが、朝起きたら、自分以外の人間が消えているのだ。
なんたる自由だろうか。
映画とかビデオとか観ほうだいだし、ゲームだってやり放題だ。
腹が減ったらコンビニにでも行けばいい。
人がいなければお金も要らないし、銭湯なんか貸し切りなのだ。

列挙するだにくだらない、中学生が考えそうなバカな憧れだが、いい大人になったはずの今でも、こう書きながらワクワクしている自分がいる。
要は、世界に自分ひとりだったら、なんでも好きなことができていいのに!という、のび太レベルの願望なんだけども。


いくら憧れても、実際には起こりえないであろうこのシチュエーション。
しかし、ぼくの夢を叶えてくれる世界があったのだ。

それは映画である。

終末を描いた映画のいくつかで、憧れのゴーストタウン状態が出現しているのだ。
ここからの数エントリーは、第1回特集上映として、そんな「自分以外全員消失」映画を紹介してみたい。

まず1本目はこちら。

地球最後の男 オメガマン 特別版
地球最後の男 オメガマン 特別版
<1971年/アメリカ/99分>


スタッフ
監督: Boris Sagal ボリス・シーガル
製作: Walter Seltzer ウォルター・セルツァー
脚本: John William ジョン・ウィリアム
Joyce Hooper Corrington ジョイス・フーパー・コリントン
撮影: Russell Metty ラッセル・メッティ
音楽: Ron Glainer ロン・グレーナー
編集: William Ziegler ウィリアム・ジーグラー
字幕: 高瀬鎮夫 タカセシズオ


キャスト(役名)
Charlton Heston チャールトン・ヘストン (Nebil)
Anthony Zerbe アンソニー・ザーブ (Masyes)
Rosalind Cash ロザリンド・キャッシュ (Lisa)
Paul Coslo ポール・コスロ (Duth)

ストーリー:
細菌兵器の使用によって荒廃した世界。自ら開発した血清によってただ一人生き残った科学者は、奇怪な亡者と化した人類と闘い続ける……。リチャード・マシスンのSF『地球最後の男(I Am Legend)』の二度目の映画化作品。


この映画では、人類は細菌戦争によってほぼ絶滅している。
爆弾とかでなくウィルスで死んだわけだから、荒廃はしているものの街は無傷という、理想のゴーストタウンだ。

そんな人っ子一人いないロサンゼルスの街を、真赤なオープンカーで優雅にドライブする、主人公のネビル(チャールトン・ヘストン)。

シュワルツェネッガーではない。
助手席には自動小銃。


カーステレオから「夏の日の恋」が流れてくるのだが、終わってしまった街におよそ不似合いな、のどかきわまるこの選曲。絶妙といえる。


車が壊れたら、そのへんのカーディーラーから新しい車をいただき、映画館では『ウッドストック』を勝手に上映、貸し切り映画大会を楽しむネビル。
こんなふうに毎日過ごせたら極楽というものだが、そう上手くはいかないのが現実だ。って映画だが。

こんな世の中にも「敵」が存在するのである。
細菌兵器に感染してしまった人類がそれだ。
彼らは細菌の影響で、皮膚や頭髪や瞳が真っ白になってしまっていて、光に弱く、昼間活動することができない。
そのため、吸血鬼よろしく、夜になると起き出して活動を始めるのだ。

人類漂白化。
白くなってしまった黒人。



そうなってしまったとはいえ同じ人間で、普通に喋ったりして意思の疎通もできるわけだから、なにも敵対しなくてもよさそうなものだが、感染した人類(以下「新人類」)を束ねる男・マサイアスの思想のおかげで、彼らはネビルを目の敵にしていたのだった。

新人類は、夜ごと街に繰り出して、文明の象徴である絵画や書物を焼き払う。
文明の発展した結果がこの戦争だったのだから、人類は文明を捨てなければならないというわけだ。
そんな彼らを挑発するように、ネビルはこうこうとスポットライトで照らされた(新人類よけ)、機械文明バリバリの要塞みたいな家に住んでいるもんだから、対立は激しくなる一方。
いまではお互いに殺しあう存在となっていた。

殺しあうといっても、銃弾を惜しみなく使うネビルに対して、機械を否定する新人類たちの武器は、主に放火
ネビルの家を攻撃する際にも、
「我々の最大の武器はこれだ!」
と持ち出してきたのが投石器だったりして、人数がいるわりに劣勢を強いられる新人類軍であった。

火炎弾を放つ投石器。
新人類軍最大の攻撃。



そんなある日、街に出たネビルは、ある洋服店で若い黒人女性に出会う。
ひそかにネビルを尾行していたらしい彼女は、彼に見つかりそうになるとマネキンのフリをしたりするオチャメな女性だ。

質問画像。
クイズ:ひとりだけ本物の人間がいます。どーこだ?



……ここまで読んで「あれ?」と思っている人のためにハッキリ言っておくことがある。

ネビルはべつに「地球最後の男」ではなかった。

新人類は男も女もモリモリいるし、感染してない人類も、じつはそれなりに生き残っていたのだ。
先ほどの黒人女性・リサとその仲間たちは、感染していない少年少女たちでコミュニティを作り、山に隠れ住みながら、街の様子をうかがっていた。

ネビル以外の人類。
地球最後の男とか女とか子供とか。



そんな彼らのために、ネビルは自分の血で血清を作り、きたるべき感染を防ごうと考えるのだが、マサイアス率いる新人類は、ネビル抹殺に動き始めていた……



夢のゴーストタウンライフには、それほど重点を置いて描かれているわけではないのだが、ボンクラが観れば、数少ない描写の中に、間違いなくうらやましさを覚える映画である。

ところでクイズの回答はこちら。


回答画像。
「あ、バレてもた!」


【2005.09.09 Friday 02:32】 author : 猫パンチ | 映画 タ行 | comments(8) | trackbacks(0) |

PROFILE
RECENT COMMENT
NEW ENTRIES
CATEGORIES

サーチ:
キーワード:
Amazon.co.jpアソシエイト
Google

RECENT TRACKBACK
ARCHIVES
BlogPeople
 
 





blog seo tool : track word
blog SEO tool
Amazon.co.jp アソシエイト
PAGETOP