仮面ライダー響鬼 VOL.1
『仮面ライダー響鬼』は、近年の特撮番組や映画の中でも抜きん出た良作だった。
物語の語り手に16歳の少年を据えたことや、ライダーに変身する人物が30歳という大人であることなどからも推測できるように、この番組の狙いのひとつは「少年に対する大人のあり方」というようなところにあったんじゃないかと思う。
少年が憧れるような大人をまず描き、少年に対しては、じゃあそうなるにはどうすればいいのかと問いかける番組であり、また同時に、大人に対しては、少年たちが目指すに足る大人であれというメッセージを発している番組だった。
ヒビキら大人たちの少年に対するスタンスも、立ち入りすぎず突き放さず、その成長を見守るさまが非常にうまい具合に描かれていた。
これは、子供向け番組が長いこと忘れてしまっていた、しかし本当はあたりまえの姿勢でもある。
また、そういったメッセージを、セリフでなく、物語の流れを通して感じさせるように作っていた点も好感が持てた。
ぼくもはじめのうちこそ
「ライダーなのに鬼?」
「うわ、火ィ吹いた!」
「……バイク乗ってないじゃん」
など表面的な部分で大いに戸惑わされたが、回を重ねるにつれ、東映は本気で作っているなと思ったし、子供番組を作る大人としての責任を果たそうとしているなとも感じたものだった。
それは、志と呼んでいいものだったと思う。
ここでちょっと、知らない人のために、内容の説明をしておこう。
なお、登場人物や世界観の詳しい説明については
公式HPを見てもらいたい。
仮面ライダーに当たる存在は、劇中では「鬼」と呼ばれている。
べつに改造人間というわけではなく、肉体や精神を鍛えた結果、鬼になる能力を身に付けた存在、という設定らしい。
鬼は全国各地に何人もいて、関東だけでも十何人いるという。タイトルにもなっている「ヒビキ」は、その鬼たちの一人だ。
鬼は「猛士(たけし)」と呼ばれる組織に所属していて、これは人間を襲う妖怪である魔化魍(まかもう)と戦う人たちの集まり。
そのメンバーの多くは、魔化魍の情報収集や鬼の活動のサポートなどを行う普通の人間たちだが、「自分のできる範囲の責任を果たす」という意味で、彼らもまた戦士と呼ぶべき人々だ。
鬼になって戦う男・ヒビキを偶然目撃した明日夢(あすむ)少年は、彼に憧れ、少しずつ猛士に関わっていくようになる……というお話。
謎解きの合間に登場人物がいがみあってるだけって印象があった最近のライダーシリーズに較べると、地味ではあるが、見るべきところの多い良作だった。
ただし第30話あたりまでだが。
この話を境に、プロデューサーや脚本家など、主要スタッフの交代があったという。
交代の理由は知らないが、番組はハッキリとつまらなくなった。
たとえばそれまでは、現場に急行したとしてもそれなりに移動時間がかかっていた鬼たちが、魔化魍出現の連絡を受けた次の瞬間に現場に現れるようになった。
こういったあたりまえのリアリティを捨てたということは、それまでの『響鬼』の柱であった、日常性の描写を放棄したということでもある。
当然、登場人物の実在感は薄まり、戯画的になる。
そんな架空の人に少年は憧れようがない。変身前のキャラクターが会話してればいいってもんじゃないのだ。
いちばん痛いのは、ほとんどのキャラクターの性格や関係性が変わってしまったことだ。
観ている人でないとわからない話をするが、ザンキさんは
「こう見えても俺は、数々の女性を愛してきた男だ。
文字通り、鬼のようにな……ふっふっ」
というようなセリフを口にする人じゃなかったよ。
変わりすぎといえる。
展開が速くなり、新しい武器や新しい変身も登場し、見せ場は派手になったけれど、そのぶんじっくりとドラマを見せる部分は減った。
要するに「普通の特撮番組」になってしまったということだ。
出現の背景がちゃんとある妖怪のはずだった魔化魍も、最近はただ出てくるだけの怪人になってしまっているし。
仮面ライダーというのは本来そういうものだ、といわれればそれまでなんだけども。
ぼくに限って言えば、『仮面ライダー響鬼』は、かなり毛色の変わった番組として楽しめていた。
鬼のデザインとかストーリー展開をはじめ、ぱっと見のウケのよさ、キャッチーさをわざと排除したかのような地味かつ不親切な作りに、かえって好感が持てたのだ。
新体制になり、そうした「ぼくにとっての魅力」は、そのかなり多くの部分が失われてしまった。
番組を見ていた少年たちにとって(そしてもちろんぼくにとって)、とても残念なことだが、
もう『仮面ライダー響鬼』に大人はいない。
それは当初の志が消え、番組そのものの価値や立ち位置が大きく変わってしまったことを意味する。
余談だが、新体制では「こうしたほうが受けるだろう」と考えてこんなふうに変化させたのかもしれない。
もしそうだとしたら、それは視聴者が馬鹿にされているということなわけだが、しかし作り手にそう考えさせる土台を作った受け手の側にも責任はあるんじゃないだろうか。
受け手の側といっても、この番組に限った話ではなくて、特撮や漫画やアニメやゲームや映画など、さまざまな娯楽メディアの受け手たち、要するにぼくら自身のこれまでの姿勢のことだ。
本来言い訳でしかない「お約束」という言葉を肯定的・好意的に使ったり、萌えに踊らされたりしているようでは、作り手に馬鹿にされても仕方ないといえる。
そういう意味では今回の改変劇は、これまでのそうした受け手の姿勢に対して
バチが当たったのだと言えなくもない。
響鬼だけにな……ってそれを言いたかっただけか自分。
なお、スタッフ交代の理由の一つとして
「予算をものすごく食っていたから」
ということが噂としてあるが、新響鬼になってから下條アトムがほとんど出演しなくなったことなど考えると、あながち間違っていないのかもしれないな。あの中ではいちばんギャラ高そうなイメージがあるし。
1話から観続けている関係上、最終回までは付き合うつもりでいるが、この調子が続くのであれば、もはやそこに興奮はないだろう。
残念で仕方がない。
心からお悔やみ申し上げます。
……と、哀悼も終わったことなので、せっかくだから、今後は変な番組として、ぼくなりに楽しんで鑑賞することにしたい。
いや、変な番組だと思って観れば、それなりに楽しめる要素はあるのだ。
現在までのところ、スタッフ交代後の「変」をダントツに引き受けているのは、第30話で明日夢くんのクラスに転入してきた美少年・桐矢京介だ。
このキリヤくん、常に波乱の展開を予感させるような、ものすごく思わせぶりな言動や怪しい振る舞いを見せるんだけども、ふたを開けてみたらどれもこれも
「じつはたいしたことありませんでした」
という結果に終わっているという、いわばスカし芸の達人。
面白いので、これまでに彼がまいた波乱の種と、その拍子抜けな結果(真相)をまとめてみた。
★鬼に変身したヒビキを見て「父さん」と口走ったところで次週に続く
→炎をまとったヒビキを見て、消防士だった父を思い出しただけ。
★明日夢の幼馴染の女の子(ヒロイン)から手紙を受け取り、
「またラブレターだよ」と明日夢に告げる
→彼女は別の女の子からのラブレターを、頼まれて渡しただけ。
★戦うヒビキを眺めながら
「お前はいずれ、俺のものになる」とつぶやいて次週に続く
→単にヒビキに弟子入りしたいという意味だった模様。
★イブキの弟子・あきらの帰宅を、深夜に待ち伏せて次週に続く
→あっさり見つかるや
「やぁ、こんばんわ。桐矢京介だよ」と間の抜けた挨拶。
オロナミンC一気飲み勝負を勝手に挑み、鬼の話を聞きだそうとするも
「ばかみたい」と一蹴される。
……なんかハラハラするのもばからしくなってくるような素晴らしい展開の数々だが、もしかして意図的にやってるのか、このパターン。
<追記@05年10月30日>
ここからは「響鬼」視てなかった人には通じづらい話かと思うけど、視聴者仲間にあてた私信のようなものなので、ご了承ください。
先ほど今週放送の「敗れる音撃」を視たが、完全に別の番組であった。
別番組というか、いや、あれはヒドいな。
惰性で最終回まで付き合うつもりだとは書いたが、それさえも危うくなりそうなほどの不出来であった。
なにが不出来って、新響鬼で変更されたのはキャラクターの性格だけかと思ったら、基本設定とか人間関係もまったく変わってしまっていたのだ。あと魔化魍も、今回はあからさまに「怪人」だったし。
相違点よりも、旧響鬼との共通部分を挙げるほうが難しいようなありさま。もはやそんなの固有名詞ぐらいしかないんじゃないかと思うが。
新スタッフ、もしやそれまでの響鬼を視ずに作ってやしないか。
今日は響鬼関連のブログでは、各所で怒りや呆れが爆発してるんじゃないかと思うが、そういう本格的な感情を共有したい方はこちら、『仮面ライダー響鬼『完全新生』路線 復活運動』へどうぞ。
怒る気力の残っている人はまだいい、といえなくもない今週の惨状であったが。
ところでこのエントリーを書いてから、旧スタッフの手がけた最後のエピソードである「二十九之巻 輝く少年」を視なおしてみた。
26話ぐらいからのサブタイトルの流れ(「刻まれる日々」→「伝える絆」→「絶えぬ悪意」→「輝く少年」)や、理不尽な目にあった明日夢少年に語りかけるヒビキの言葉が、そのまま今回の交代劇に対する、スタッフからの回答だったように思う。
この話をもって「第一部・完」といっていいと思われるが、そのラストシーンでは、ちょっぴり成長した明日夢少年を眺めながら、ヒビキが
「少年、第一歩だな」
とつぶやいている。
いわば新スタッフにきっちりバトンを手渡したわけだが、新スタッフはそのバトンをどこかにうっちゃって、なおかつコースでないところを走っているという感じだ。
このまま心のこもらない脚本が続いていけば、おそらくものすごくグダグダな最終回を迎えるんじゃないかと思う。いきなり「数年後……」とかいうのもありそうだな。
<追記@11月20日>
新響鬼にはすっかり慣れました。
慣れたというか落ち着いたというか、キャラクター変更も込みで楽しみ始めたという感じ。
このエントリーを書いた当初は、旧響鬼の「大人を見せる」という部分に思い入れが大きかったので、新響鬼になっていきなりの各キャラクターの変貌に狼狽し、また大いにがっかりした気持ちを抱え込んだままだった。
落胆のあまりに勢いで書いた部分も非常にあったわけだが、いま読み返すと、勢いゆえに暴言も多い。
とくに上の追記、「不出来」は「違和感」ぐらいでよかったですな。
他の部分もところどころ言い過ぎていたとは思いますが、たくさんの人の目にも触れているようなので、反省の意味も込めて、あえて削除せずに残しておきます。
あと本文のほうは、時おり改稿してます。
また、30話以降の物語展開について、旧路線から見れば「違和感」ではあるが、新路線による新設定から見れば「忠実」ではあると思う。
続編とかならともかく一つの連続した番組なので、視聴者の心情的にも、そのへんがややこしくなっている原因なんじゃないだろうか。
どっちのテイストが肌に合うかという好みの問題もあるし。
それはともかく、落ち着いたことでもあるので、最終回を待たずに自分なりのまとめをしてみたい。このエントリーだけどんどん長くなっていくけども、そのへんはご勘弁を。
正直なところ、今回の路線変更は、いまだに残念な気持ちはある。
旧響鬼に関して「展開が遅すぎる」「明日夢が成長しなさすぎ」といった意見もあるが、個人的にはあのぐらいゆっくりなほうが自然でいいんじゃないかと思う。
ぼくはあの展開の遅さから、弟子入りしないまま最終回というのもありえるんじゃないか、明日夢が結果的に弟子や鬼にならなくても、それはそれでアリなんじゃないかと思いながら観ていた。
猛士としての生活という選択肢もあるわけだし。
あのペースであのまま進んでいったら、いったいどういう終わり方をしたんだろうかというのは、今でも気になる。
そういう意味では「旧スタッフによる最終回」を観てみたかったが、下記のコメントにも書いた通り、こうなってから新規にそれを作るのはまず無理だろう。
それで思い出した。
余談だが、上でも紹介した『仮面ライダー響鬼『完全新生』路線 復活運動』というブログにTBを送ったところ、いつのまにか「猛士助音士」(運動の賛同者をそう名づけたらしい)というのに参加したことになってて驚いた。
そういう組合に入るつもりは全くなかったので面食らったが、たしかに運動のブログを読むと「賛同者はTBを」みたいなこと書いてますね。
適当に送ったぼくがうかつであった。
ってこの追記、なんだか反省文みたいになっているが。
それはさておき、旧路線での「ぼくにとって魅力だった部分」の多くが新路線になって失われてしまったのは、非常に残念なことだったため、このエントリーのタイトルに「哀悼」の言葉を入れた。
そして新響鬼はコントがかった番組として楽しもうと思っていたのだが、追記で再び感情的になってしまう。
哀悼したものの、未練があったのである。
設定の変化に追いつけなかったのが、その原因だと思われる。
本文でも触れたように、新響鬼になってから、番組のテイストや、キャラクターの性格や関係が変化した。中にはあからさまに精神年齢が下がったキャラクターもいた。
こうした、普段のぼくであれば喜んで食いついていた部分。
そこに違和感や反発のほうを大きく感じたというのは、繰り返しになるが、やはりずいぶん旧響鬼に思い入れがあったんだろうなと思う。
また新響鬼になった際の変わりようも激しかったし。
で、今はどうかというと、上記のような残念は抱えながらも、どうしようもないことなので、比較的落ち着いている。
キャラクターの変化は、たとえば
「新しいトドロキはこういう性格になったのか」
と(戸惑いながらだが)観れるようになった。
気持ち的には、やはり別の番組を観てる感じではあるが。
「設定が変わったんだな、わかった、じゃあこれはこれで」
と割り切れば、楽しめたりもするし。
楽しむといっても
「すごいデザインだな朱鬼」とか
「こわいよママーってキミ」とか、そういう楽しみ方にシフトしているわけだが。
もとに戻ったといえる。
⇒ nike air max 90 (03/06)
⇒ pandora jewelry (03/04)
⇒ yeezy boost 350 (03/04)
⇒ yeezy boost 350 (02/28)
⇒ pandora jewelry (02/25)
⇒ pandora jewelry (02/25)
⇒ birkenstock sandals (02/23)
⇒ Takanori (10/22)
⇒ 俺だから大丈夫だ! (10/08)
⇒ ひゅーまん (04/20)